もぎとった。ひきぬいた。いや、やはりこれだ。ひっこぬいた。
4月21日。札幌ドーム。リーグワンのクボタスピアーズ船橋・東京ベイの背番号18、新人の為房慶次朗が「ひっこぬいた」。どこからなにを? コベルコ神戸スティーラーズの7番、アーディ・サベアの懐から楕円の球を。
スピアーズ先行の32-22の後半32分過ぎだった。オレンジのジャージィはそのまま逆襲、縦へ縦へつなぎ、9番の藤原忍がインゴールへ滑り込んだ。勝敗は決した。
明治大学出身、怪力を噂された若き右プロップがこれ以上ない説得力をもって、際立つ腕力を証明した。なにしろ奪った、いえ、ひっこぬいた相手は、国際統括団体ワールドラグビーの定める昨年の男子15人制の年間最優秀選手、オールブラックスの顔の中の顔、かのサベアなのだ。
腰を落とし、両足はしかと芝をかみ、ぶっとい腕をぶっとい腕にさし入れるや、たまらずボールは惑星で頂点のラグビー選手の胸を離れた。満点のひっこぬきだ。映像を見返すうちにこんなことを思った。「大相撲は逸材を逃がしたな」。為房慶次朗、まわしをつかんだら、敵などまれな力士となっただろう。
39-29の終了後、ドーム内の取材通路付近より放送関係者の情報が届いた。
「為房本人は自分がボールを奪った相手がアーディ・サベアとはわかっていなかった」。それどころか。「どうやらサベアがどんなに凄い存在かということもあまり知らなかったらしい」。スピアーズの同僚がいくらかジョークの調子で教えてくれたそうだ。
ここから話は広がる。主題は「リスペクト」。ひととき勝敗を争っても、ラグビー仲間への敬意を忘れてはならない。当然である。
ただし、本稿のここでのリスペクトは、グラウンドの上、決戦に臨む態度と関係する。スポーツ最前線の用語では「リスペクト=相手を大きく見る」。だからキャプテンやコーチは「リスペクトし過ぎるな」と試合前によく叫ぶ。「過度におそれるな」に近い。
そこでものをいうのは「知らない」である。もし、あなたが現役のプレーヤーにして国際ラグビーの熱心な愛好家なら、いま自分が体を当てるこの人物が「ワールドカップ決勝で負けたのに年間最優秀選手に選ばれた」事実とその意味を深く理解してしまう。「ひっこぬいてよいのか」とは思わぬだろうが「ひっこぬけるものなのか」という感覚はよぎる。リスペクト!
あまり知らなければ、たとえば「神戸のニュージーランド人、オールブラックスの7番か8番だろう、どのみち名前がカタカナの連中はみんな強いって」くらいにとどめておけば「予断」と無縁でいられる。
1973年のひとつの例がある。10月6日のカーディフ・アームズパーク。ジャパンは隆盛のウェールズ(xv)に挑んだ。強力なメンバーを組んだ真紅のジャージィーに振り回されて14-62の完敗を喫するも、右WTBの伊藤忠幸は2トライを挙げて大いに気を吐いた。
ひとつは、かの名SOフィル・ベネットを振り切り、もうひとつは、岩をも砕く猛タックルでとどろいたFBのJPR・ウィリアムズをはねとばした。世界の名手を向こうに前者のスピード、後者のたくましさは長く語られてきた。2016年のジャパンのツアーに際して、BBCウェールズ放送はそのシーンをSNSなどに流している(https://twitter.com/BBCSportWales/status/799645568431591424)。
保善高校-法政大学-リコーと進み、ゾウさんの愛称で敬われる人はよくこう語った。
「JPRのことをよく知らなかった」
まさに予断なしの実力を発揮できた。どんなチームも土のグラウンドで練習に励んだ時代、インターネットどころか家庭用ビデオの普及もしばらく先、突然、世界のトップ級と対峙したら、まるで通用するとわかった。
こちらがよく知らないのだ。向こうはこちらをもっと知らない。アーディ・サベアはもしかしたら為房慶次朗に学んだ。日本の国内リーグで今季は中堅どころのチームと戦っても、防御に囲まれながら球をキャリーする際には「スプリングボクスとの決勝と同じくらい腕に力をこめなくてはひっこぬかれる」。51年前にJPR・ウィリアムズが「日本人にもニュージーランド人のように速くてたくましい14番がいる」と初めて気づいたように。