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【ラグリパWest】医師を育てるラグビー㊤ 久留米大学医学部ラグビー部

2024.04.22

久留米大学には2つのラグビー部があり、この医学部ラグビーは創立1928年(昭和3)の翌年に創部された由緒あるクラブである。選手は全員、医学部医学科の学生で構成されている。前列左から4人目は今年8月から主将を任される予定の新3年生・疋田亘さん。女子マネージャー5人は医学部の看護学科に籍を置く


 永田見生(けんせい)はラグビー経験者だ。学校法人「久留米大学」の理事長である。

 この学校法人は、医学部をその始まりとする大学や進学校で名高い「附設」の高校や中学などをその下に置く。一大教育機関である。

 永田は75歳。意志の強さを示す張ったあごを持ちながら、その目じりは下がる。トップにありがちな厳しさは感じられない。整形外科医ということにも関係があるのだろう。その永田には楕円球の思い出がある。

「ラグビーはきつい。現役の時はずーっと走っとった。セービングの練習はビフテキをこしらえた。でもそのきついことを乗り越えてゆく。そうすれば根性がつく。医師を目指すものにとっては大切なことだと思うよ」

 永田は学生時代を久留米大学の医学部ラグビー部の一員として過ごした。現役時代はグラウンド往復を全速でボールをつなぐランパスやこぼれ球に飛び込むセービングを重ねた。ボールに寝込めば、太ももには大きなすり傷ができる。それがビフテキである。

 永田は知る。医師は不眠不休で患者の生をつながないといけない時もある。その時、若き頃のきつく、痛い経験があれば、動じない。

学校法人「久留米大学」の理事長である永田見生さん。医学部を含めた6学部構成の大学のトップである。永田さんは現役時代、この久留米大学の医学部ラグビー部に籍を置いた

 永田が半世紀以上も関り続ける久留米大学は福岡県の南部、久留米にある。創立は1928年(昭和3)。地元の臨床医増を求める要望に応えるべく作られた。当時の校名は九州医学専門学校。短く「九州医専」と呼ばれた。

 その学校創立の翌1929年、運動部群が一斉にスタートする。その中に、「闘球」(とうきゅう)と呼ばれたラグビーも入っていた。創部年はリーグワンのディビジョン1(一部)、花園近鉄ライナーズと同じである。あと5年すれば、100周年を迎える。

 そのジャージーは赤青白の3色段柄。色には医学部らしい意味がそれぞれある。赤は動脈、青は静脈、白は神経を表している。

 医学部ラグビー部の新3年生、疋田亘(ひきた・わたる)は黒目がちな男前だ。
「部が相当古いのは知っています。OBには理事長先生とか偉大な方が多いです」
 永田の名前が挙がる。79歳の横倉義武もいる。外科医。2017年、日本人3人目の「世界医師会会長」についた。

 医学部から出発したこの私学校は1950年、商学部を作った。現在では6学部構成の総合大学に成長した。学生数はおよそ6500人。学内にはラグビー部が2つある。始祖の医学部と商学部誕生とともに派生したその他の学部学生たちのためのものである。ともに九州学生のリーグD(四部)に属している。

 現在、医学部ラグビー部の選手は19人。疋田とひとつ下の新2年生の選手数はともに2。先のことを考えれば、選手増は絶対である。そのための勝負はこの新年度の4月だ。100人ほどの新入生に勧誘をかける。

 疋田たちはレクリエーションを考える。
「レンタルキッチンでたこ焼きを作って、新入生歓迎のパーティーをします」
 自身も初心者だった。
「ごはんもごちそうになったし、タッチフットでも気持ちよくさせてもらえました」
 先輩たちはわざと抜かせてくれた。

 疋田の出身高校は東福岡。冬の全国優勝7回のラグビー部ではなく、卓球部にいた。
「チームスポーツは楽しいです。励まし合えるし、意見がぶつかっても、結果的に高め合えることができます」
 175センチ、75キロの体でLOのポジションを任されている。

 疋田は主将予定者である。今年8月の西日本医科学生総合体育大会、通称「西医体」(にしいたい)が終われば、新4年生の吉田太郎からその重責を引き継ぐ。吉田の出身高校は熊本。4人の貴重な経験者のひとりで、NO8に入ることが多い。

 6年制の医学部において、昔はラグビー部の主将についたのは5年生だった。しかし、上級生になれば実習なども入り多忙になるため、主将の任は学年が下がり、今では3年生が負うようになった。

 その主将が交代する西医体は医学部学生にとっては、大学選手権のようなものである。毎年8月、西日本の44の医科大学や大学医学部が20競技で覇を競う。

 その3か月前の5月、ラグビー部は九州・山口医科学生体育大会を戦う。略称は「九山」(きゅうやま)。12の大学が参加する。

 九山は西医体の前哨戦とも言うべきものであり、西医体が医学部の医学科生のみに出場が限られるのに対し、九山は歯学部や薬学部の学生も参加は可能だ。ただ、ピッチに立てるのは3人までである。

 この2大会に山口を含めた九州の医学部生たちは照準を置く。西医体は1949年に始まり、この夏で76回目。久留米大学は連覇と3連覇を含む8回の優勝を誇る。九山は来月5月で63回目を迎える。

 久留米大学は昨年の西医体、コロナ患者が出たため、1回戦を棄権した。また九山は4強戦で敗退。宮崎大に延長戦の末、トライを奪われ、0-5とされた。

 この2つ大会で勝つための施設は整備されている。旭町キャンパスにある医学部のグラウンドは人工芝に生まれ変わった。昨年1月に完成披露のイベントがあった。

 疋田からは感謝が満ちる。
「僕は土だった時のグラウンドを知っています。だから、めちゃめちゃありがたい。ほかと比べるととてもいい環境だと思います」
 人工芝になったことで、永田が作ったビフテキも完全に過去のものになった。

 そのフルサイズの人工芝グラウンドを使っての練習は週3回。授業終りの午後6時から2時間ほど行われる。周囲にはLEDの照明塔が立っており、明るさに問題はない。ウエイトルームも部室近くにある。
「たくさんの新入生に入ってきてほしい」
 疋田はそう願っている。

 日々の練習や試合における戦術は疋田ら学生と久木元孝成(くきもと・こうせい)が話し合って考える。久木元はこの同じ久留米に本拠地を持つ女子ラグビー「ナナイロプリズム福岡」のスキルコーチ。早大や九州電力(現・九州KV)などでSOとしてプレーした。

 久木元のいるナナイロプリズム福岡もこの新人工芝グラウンドの恩恵を受けている。

(医師を育てるラグビー㊦に続く)

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