最近多い挨拶は、「心配して損したよ」。あるいは、「なんだ、元気じゃん」。
そんな言葉を、「良かったな」と言ってくれていると解釈している。
みんな、気遣ってくれてありがとう。
年始からメンタルの不調に陥って、心身を思うようにコントロールできなくなった。
もともと10月の予定だった定年退職の時期を待たず、早く退職することにした。
1月いっぱいは外出すらほとんどせず、家に閉じこもっていた。
どうしてそうなったのか、自分でもハッキリとは分からない。でも、その間も試合中継はJスポーツなどで見ていたから、ラグビーは友だちのままだ。
1月末に26年間務めたラグビーマガジン編集長を退任した。
2月、3月は有給休暇を使いながら取材活動に復帰し、ラグビーリパブリックの記事などを書いて過ごした。
4月からフリーランスライターという立場となり、10日あまりが過ぎた。
現場に復帰してから月の半分は取材に出て、4月の初旬には香港セブンズにも出掛けた。
長くやってきたことと、何も変わらない日々が戻った。
1989年にスポーツ専門出版社に入社して、4年間の野球雑誌編集部勤務を除けば、通算30年間ラグビーマガジン編集部で働いた。
楽しい思い出しかない。
ただ、節目の時に書いておきたいことがある。日本ラグビーへのお願い、だ。
思いつくまま、だらだら書く。
国内テストマッチには、その対戦にゆかりのある元代表選手を招待し、試合前やハーフタイムに、ファンへ紹介してほしいな。
簡単でいい。動画が難しいなら、古い写真1枚でもいい。大型ビジョンに映し出し、現在の姿も。
きっとその人は、照れながらも誇らしい表情を見せてくれる。みんなで拍手を贈ろう。
過去と現在をつなぐことは、未来への思いも呼ぶ。
選手たちは、将来の自分たちの姿をそこに見るだろう。日本代表の価値も、サクラのジャージーへの愛情も深まる。
テストマッチでの国歌斉唱は「生」にこだわってほしい。
生演奏にシンガーがいたら最高だけど、どちらかだけでもいい。特別な空気は、その舞台で戦う人、そこを目指す人、見つめる人の気持ちを高める。
試合前のエンタメ性ある盛り上げから、引き締まった空気へ。テストマッチは、その土地で年に1回か数年に1回。より特別な日にしてほしい。
高校ラグビーの合同Aとか合同Bの呼び方はやめて、それぞれ、チーム名を好きにつけて大会に臨めるようにならないか。
中杉ファイターズ(中野や杉並近辺の学校)や下町ロケッツ(足立や荒川近辺の学校)としてチームを組めば、選手たちの結束も、より高まらないかな。そして、かっこいい。
各校OBのために、トーナメント表の脇に、校名の表記は忘れないでね。
ラグビースクールが大会に出るときは、該当学年の全員が出られるチーム数をエントリーしよう。
そして一つひとつのチームは出場選手を決める際にローテーションシステム(強い子ばかりが出続けず、いろんな力の子どもたちが混在する工夫)にして、必ず全選手が全試合に出られるようなルールにしないか。
勝利を求める姿勢が人の成長を促すのは分かる。
が、最強メンバーでない中でどう勝つかを考える。負けた理由を誰かのせいにしない。そんな考え方を持てるようにすることはもっと将来に生きる。自分がもっと頑張れたら勝てたかも、と思う気持ちも。
小学生の間は、それでいいと思うのだ。そんなルールの大会ができて、増えないかなあ。
ひとつの学校のラグビー部やクラブチームに、目的別や体重別のチームも持ってほしい。
ラグビーをやりたい人は、チャンピオンシップを目指す人たちだけではないだろう。自分より大きな人とぶつかるのは怖いけれど、という人もいる。
強豪校のラグビー部員は憧れの存在。その中に飛び込むのは難しいけど、楕円球を持って走る、投げる、蹴る、を楽しみたいと思っている人もいる。
国内シーンの男子クライマックスと女子ラグビーのビッグゲームを重ねないでなどなど、他にもお願いはいろいろある。
が、最近あらためて強く感じたのは、全国高校選抜のことだ。
決勝戦の放送で映し出される無人のバックスタンドは、あまりに残念ではないか。
大きな歓声の中でプレーさせてあげたい。映像を見た小中学生が、そこに立ちたいと思うだろうか。
なんとかしないといけない。そう思っている人たちは多いのだから、動いてほしい。
2013年、ウエールズ代表が来日した。第1テストマッチは、満員の花園ラグビー場でおこなわれた。
当時の関西ラグビー協会、坂田好弘会長が、「その日は練習や練習試合の時間をずらして、みんなで日本代表を応援しよう」と社会人や学生チームに呼びかけた結果だった。
全国高校選抜大会決勝の日を、同じ様にしてほしい。
埼玉県内や隣県の高校生をはじめ近い年代の層が、みんなそこに足を運ぶ様な仕掛けを是非。
関東大学オールスター戦でも、各大学の部員たちに呼びかけて同様の試みをおこなっている。
大学4年生の早期加入を認めるアーリーエントリーがリーグワンに採用されて活気づいたように、大きなお金をかけなくてもできる改革はたくさんある。
あ、ここまで書いて思う。
ラグマガ編集長のうちに誌面に書いておけばよかった。
【筆者プロフィール】
田村一博(たむら・かずひろ)
1964年10月21日生まれ。1989年4月、株式会社ベースボール・マガジン社入社。ラグビーマガジン編集部勤務=4年、週刊ベースボール編集部勤務=4年を経て、1997年から2024年1月までラグビーマガジン編集長。2024年3月いっぱいで退社し、フリーランスに。