ラグビーリパブリック

好調ブレイブルーパスで低さ&万能性示す眞壁照男 いまは亡き名コーチの魂受け継ぐ

2024.04.06

ブラックラムズ所属の兄・眞壁貴男にタックルするブレイブルーパスの眞壁照男(撮影:松本かおり)


 試合が始まるや早速、兄弟で激突した。

 3月24日、東京・秩父宮ラグビー場での国内リーグワン1部・第11節。広島県出身の眞壁照男が、東芝ブレイブルーパスの左PRで先発した。ファーストプレーは、兄の貴男へのタックルだった。兄は、対するリコーブラックラムズの同じ位置を務めていた。

 2人は4人兄弟の次男、四男の間柄だ。31歳と27歳。それぞれ身長は170センチ前後。低さを長所に変え、この世界を生き抜いていた。

 試合はブレイブルーパスが勝った。40-33。目下2位と好調だ。その一員たる眞壁は、入部4シーズン目の今季にブレイクした格好。現行のリーグワンが発足した2021年度から5、3試合ずつ出場も、今季はここまで9戦に出ている。2月には、日本代表のトレーニングスコッド合宿に呼ばれた。

 重宝される理由のひとつには、万能性が挙がる。PRなら左右どちらもできるのが眞壁の強みだ。

 スクラム最前列で両サイドを固めるPRは、それぞれ組み合う際の身体の使い方が異なる。熟練者でも両立が難しい。

 しかしこの人は、「試合前にどちらかが決まっていればできる」。ふたつのポジションの留意点を、簡潔に整理しているからだ。おもな違いは後ろ足がどちらになるかであり、左肩に圧がかからない左PRは組んでいる最中のボディバランスも肝…。

 スクラムは知性と体力を擁する動作だと再認識させる眞壁には、恩人がいる。

 ブレイブルーパスOBの湯原祐希さんだ。現役時代の2015年には、ワールドカップ・イングランド大会の日本代表になった。最前列中央のHOとして束ねたスクラムに関し、造詣が深かった。

 ぶつかる。押す。もしくは崩れる。事象が起こるたびに、その原因を個々の姿勢、互いのつながり、相手との駆け引きをもとに詳細に分析できた。2019年からコーチとなり、最初のうちは選手兼任で指導にあたっていた。

 雌伏期間の眞壁は、事あるごとに湯原さんに助言を求めた。日々のトレーニングの予習、復習で忙しかったはずなのに、いつでも話をしてくれた。練習中に撮った動画を大きなビジョンに流し、解説してくれた。

 湯原さんは2020年9月に急逝した。練習施設で突然、倒れ、帰らぬ人となった。

 眞壁はもっとたくさんのことを教わりたかったと残念がりながらも、湯原さんの哲学は後進に根付いているとも感じる。その論調には、右PRの小鍜治悠太もうなずく。

「東芝のセットピース(スクラムなど)を大事にするところ(考え)を、湯原さんが強固なものにした。湯原さんのおかげで、繊細さが加わったというか…」

 恩師から得たもので一番、大きなものは何か。そう問われた眞壁は、間髪入れずに答えた。

「自分ができることを最大限にやる、ということです。湯原さんは、持っているものを全て僕たちに捧げてくれました。家族がいるのに、夜が遅くなっても僕たちに全ての知識や力を注いでくれました。それがあるからプレーでは全力を出さなきゃいけないと思うし、イレギュラーがあったらフロントロー(第一列)皆で解決する」

 いまも活用するたくさんのスキルはもちろん、そのスキルを教えるために身を削ってくれたという体感そのものが財産となっている。

「人のために、チームのために、自分を犠牲にできる人はなかなかいない。ただラグビーでは誰かがしんどいことをして、誰かがトライを獲るという部分もある。その意味では、湯原さんからは大切なことを学んだと思います」

 京産大からアーリーエントリーで加わったばかりの右PR、ヴェア・タモエフォラウは、大学時代にブレイブルーパスの活動に参加した日のことが忘れられない。

 2016年入部でHOの橋本大吾ら複数の先輩が横についてくれて、「わからないことがあったら何でも言ってね」とサポートしてくれた。

 眞壁もそのひとりだった。せっかくの機会に少しでも財産を持ち帰ってくれれば、と考えていたという。レジェンドから授かった「大切なこと」を未来につなぐ。

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