3年前の10月頃だったか。初年度のリーグワン開幕を前に、静岡県の磐田市にあるヤマハ大久保グラウンドを訪ねた。
サントリーから静岡ブルーレヴズに指導の場を移した有賀剛コーチに話を聞くためだ。この日、同コーチは全体練習後の個人練習にもたっぷり付き合ってから、インタビューに臨んでいた。
30分ほどで取材は終わり、クラブハウスの2階の窓からグラウンドを覗く。
さすがに誰もいないか。いや、まだ一人だけ、トレーニングに励んでいる選手がいた。
当時ルーキーの岡﨑航大だった。慣れないポジションでの動きを入念に確認していた。
長崎北陽台、筑波大ではCTB。171センチ、82キロのサイズを考慮し、ヤマハ発動機加入後はSOとして生きることを決めた。
しかし過去2シーズン、公式戦出場はゼロ。チャンスを活かしきれないでいた。
加入1年目は出場メンバーのバックアップとして試合に帯同していた。メンバーにコンディション不良があれば、即メンバー入りする立ち位置。いつ出番が来てもおかしくなかった。
それなのに、練習試合で内側靱帯を負傷した。数か月の離脱を余儀なくされ、そのままシーズンを終えた。
2年目も運がなかった。目の前まで来ていたリーグワンデビューを手放す。1月下旬、堀川隆延ヘッドコーチ(当時)から「今週良ければ来週いくよ」と言われていた。
「すごく調子も良かったんです。これはいけるぞ、と思った時に頑張りすぎてしまって…。(メンバー発表直前の)週明けに第5中足骨を折りました」
それからほどなくして、京産大からアーリーエントリーで登録された家村健太が司令塔のポジションを勝ち取る。あっという間に、期待の若手として注目された。
「気持ちを保つのはかなりしんどかったです。家村が出始めたときは今後自分はどうなるのかという不安もあったし、どうしたらいいんだろうという悩みがずっとありました」
同期の活躍が早かったことも、その思いを増幅させていた。FL庄司拓馬とWTB奥村翔は大学卒業直後にトップリーグのプレーオフで先発に抜擢され、PRの郭玟慶と山下憲太も1年目にプレータイムを得ていた。
もっとも、苦しい時間を支えてくれたのもまた同期だった。普段から行動をともにすることも多く、先輩たちからは「お前たちはキモい」と笑われていた。
それだけ仲が良かったからこそ、「引け目はずっと感じていました」。
「奥村はBKですし、よく話も聞いてくれました。同郷(長崎)の山下も苦しんでいたので、いろんなことを話しましたね。悔しいときはみんなで飲みにもいきました」
転機は昨秋にあった。日本代表のジェイミー・ジョセフHCの参謀役としてナショナルチームディレクターを務めていた藤井雄一郎が、静岡ブルーレヴズの監督になったのだ。
W杯前、合間を縫って磐田のグラウンドに駆けつけた藤井監督は、岡﨑を見てすぐに思ったという。
こいつはハーフだな。
後日、有賀コーチ伝手に、スクラムハーフにコンバートする可能性があると伝えられた。
「さすがにその選択肢はなかったので驚きました。本当にできるのかと。挑戦してダメだった時の怖さもありました。試合に出るレベルにもなかったら、すべてが中途半端になる。10番として2年間積み上げてきたものもありましたから。矢富さん、日野さん、桑野さん、同期の奥村、庄司…いろんな人に相談しました」
それからは、個人練習でボックスキックやラックからのパスなど、スクラムハーフとしての動きに少し時間を割いてはいたけど、やはり葛藤があった。
藤井監督本人の口から、その意図を聞きたかった。LINEでその旨を伝えた。
W杯開幕を前にフランスに入っていた藤井監督と電話を繋いだのは、初戦のチリ戦の1週間ほど前だ。
藤井監督の言葉が心に刺さった。
「試合に出ないと面白くないだろ」
2シーズンで溜まっていた悔しさ、苦しさ、欲望、葛藤、劣等感を思い起こす。
試合に出ないとやっぱり面白くない、チャンスがあるならやってみよう。そう思えた。
「こいつはハーフやな、と初手で思ったそうです。CTBをやっていた分、ディフェンスもできるし、フィジカルもある。ハーフとしてそこが生きるのではないかと言われました」
「スクラムハーフ・岡﨑」の本格始動は、指揮官がチームに合流した10月末の延岡合宿からだ。あらためてコンバートを提案され、全体練習で初めて9番の位置に入った。
「屈むことが多すぎてお尻とか腰とかめちゃくちゃキツかった」と笑うも、「周りの選手からハーフっぽい」と言われ、手応えも感じていた。
「案外いける感覚がありました。パスの精度こそ低かったですけど、SOをやっていた分、チャンスメイクはできていました」
ただ、スクラムハーフとしての日々を過ごすにつれて、ゲームコントロールや球出しのタイミング、9番としてのディフェンスなど、専門職ならではの難しさも痛感する。
その度に手を差し伸べてくれたのが、同じポジションでライバルでもある39歳の矢富勇毅だった。
「矢富さんは聞けばなんでも教えてくれます。僕のクセを見抜いてくれるし、練習の映像も一緒に見てアドバイスをくれます。それが一番成長に繋がってる。まだ辞めてなくて本当に良かった(笑)。45(歳)くらいまでやってほしいですね。教えてもらいたいこと、まだまだいっぱいありますから」
開幕から3試合はメンバー外も、第4節の三重ホンダヒート戦でいきなり先発を託された。まだ転向して3か月ほどだった。
藤井監督が「今日うまくできれば合格」と話していた続く東京サンゴリアス戦では、ラック脇を突いてトライも挙げる。激しいタックルも見せ、期待されている役割を果たした。
それから第9節までで欠場は1試合。先発出場を重ねている。
「ラグビーって面白いな、と。そういう気持ちがまた出てきた。いま、充実感がすごくあります。入った時は誰も予想していなかったコンバートを、初手で見抜いた藤井さんに感謝です」
雌伏の時を過ごしたからこそ、「モーターズ(エンジンの核になるモーターが由来)」ことノンメンバーへの思いも強い。
「負けた時には出られなかった選手にすごく申し訳ないと思いますし、それだけ責任が大きいと実感しています。出られない人の分まで頑張らないと。その時の苦しさは僕も分かるので」
いま、チームは3連敗中。一時5位まで上がった順位を9位まで落としている。
これまでとは異なる苦しさを味わう25歳が、「勢いを取り戻したい」とまなじりを決した。