エディー・ジョーンズHCから「スマートな選手」と褒められていたことを報道陣が伝えると、「ホントですか! 嬉しいです」と相好を崩した。
コベルコ神戸スティーラーズのティエナン・コストリーは、2月上旬に福岡でおこなわれた日本代表のトレーニングスコッド合宿に招集された。
ニュージーランド出身で、昨年の3月まで環太平洋大の学生だった23歳。当時の仲間には自身を、マオリ語で「男の子」の意味がある「タマ」と呼ぶように伝えた。名前のティエナンは、日本人には発音しにくいと感じたからだ。ここに、スマートさが垣間見える。
エディーHCは以前、言っていた。
「日本語をかなり話せる外国人選手が増えています。私ももっと勉強しないといけないですね」
その筆頭がティエナンだった。スティーラーズで通訳の濱本聡仁さんは「チーム内で一番上手い」。その理由を本人に聞くと、「オオヒラ先生のおかげかな」と日本語学の講師の名を挙げた。
「日本語をちゃんと喋りたいと思ったので、良い努力ができました。外国人の先輩もいなくて、通訳もいない。チームに影響を与えたいと思うなら、自分が学ぶしかなかったんです」
チームに貢献したい思いが強かった。「IPUのおかげで日本でプレーする機会が生まれましたから。自分だけでなく、チームも成功してほしい。良い結果を残したいと思った」という。
4年時にはその言葉通り歴史を変える。バイスキャプテンとして、同校を初の全国大学選手権に導いたのだ。
それからほどなくして神戸でアーリーエントリー登録されると、すぐさまリーグワンデビューを飾った。当時はカテゴリBだったが、体調を崩した南アフリカ代表キャッパーのNO8マルセル・クッツェーに代わり、出番が回ってきた。
カテゴリA となった今季は背番号8を確保。開幕節から全試合にフル出場し、ついに日本代表指揮官の目に留まった。
キャンプは2日間と限られた時間ではあったが、何気ない時間も自身の成長に繋げようと努めた。「今日(キャンプ初日)はゆっくりする時間があるので、外国人だけで固まらないように、いろんなチームメイトと話したい」と語っていた。
「W杯に出た選手たちと一緒に練習できたのはすごく良い経験でした。リーチさんや姫野さんと出会い、話せたことが一番良かった」と振り返る。
特にNZから来日して日本代表の顔となったリーチ マイケルはロールモデルだ。チーフスで活躍している時から、そのルートがあることを知っていた。
「ただ、大学から日本に行けることはあまり知りませんでした。監督からこういう機会があると言われ、びっくりしました。これはもしかしたらすごく良い機会なのではと。IPUに決める前に実際に学校を見に行ったんです。そこで行きたいと思いました。文化の違う国、違う言語に身を置けば、人として成長できる。このチャンスで行かなければ後悔してしまうと思いました」
2019年に来日した時点で、桜のジャージーをターゲットに据えた。その秋にはワールドカップが開催され、日本代表の躍進を見た。その思いはより深まったという。
「日本のおかげで良い人生ができあがっています。奥さんも日本人ですし、日本のために頑張りたいです」
エディーHCが掲げる「超速ラグビー」については、「私のスタイルと合う。私にとってチャンスだと思う」と目を輝かせた。
16歳までBKだったから、スピードはもともとの強みだ。今季の東芝ブレイブルーパス東京戦では、日本代表でもトップのスピードを誇るWTBジョネ・ナイカブラにバッキングアップで追いついてみせた。
「FBだとあまりディフェンスに関われないし、自分の(得意な)キャリーやコンタクトもできない。FBでは私の持っているスキルセットを活かせないと思った」とバックローに転向。「大学3年の春シーズンにFBをもう一回やりましたが、やっぱりダメでしたので」と笑った。
プロ選手として初めて過ごした今季のオフシーズンにも、その強みを磨いた。ヘッドアスレティックパフォーマンスコーチである元ブルーズのフィル・ヒーリー氏に提供された、さまざまなスピードトレーニングのメニューをこなし、自信を深めた。
「私はサイズが大きいわけではなく(192センチ、102キロ)、スピード系の選手。ラックの後、タックルの後に、はやく立ち上がってすぐに試合に戻るスピードの大事さは、エディーとも話しました。神戸でもそれはチームとして意識していて、スタッツも取っています。それは才能がいらないプレーですから、頑張って立ち上がるしかない。そこの気持ちで絶対に負けたくない」
シーズン終了後の代表活動にも意欲を見せるタマは、「選ばれるためには神戸での努力が必要です。毎週頑張って、良いパフォーマンスを見せるしかない」と決意する。
3連勝中と調子が上向いているスティーラーズで、もっと輝きたい。