第103回全国高校ラグビー大会で、下馬評を覆した試合の一つだったろう。
2024年1月1日。3回戦の「中部大春日丘高(愛知)×國學院栃木」。春の選抜は2回戦敗退だった中部大春日丘が、選抜4強入りした國學院栃木に24-19で競り勝ち、2度目の8強入りを達成したのだ。
しかもBシードの中部大春日丘にとっては、この3回戦が大会初戦。2回戦の相手・高松北(香川)が負傷で15人が揃わず、2回戦を棄権したことによる椿事だった。
下馬評を覆した中部大春日丘の背番号10は、3年生SO渡辺圭祐(わたなべ・けいすけ)。
2年時はセンターも兼任していた181cm、90㎏の大柄な司令塔。188cmのFL福田大和主将ら強力ランナーを当てながら、左右のスペースを攻略するラグビーで中心的役割を担った。
國學院栃木戦の勝利は、準備の賜物だった。
「國學院栃木さんはテンポの速い展開ラグビーが魅力のチームです。そこでディフェンスでは、練習から『まず1対1で負けないこと』『横との繋がり』を意識してずっとやってきました。そのディフェンスで手応えがありました」(SO渡辺)
中部大春日丘は前半5分、相手の展開攻撃に即応してターンオーバー。その後も再三攻守交代を起こし、スピード感ある“堅守速攻”で攻め立てた。
SO渡辺は前半21分に会心のプレーがあった。
同点(7-7)の場面で、移動攻撃からロングゲインする。みずから敵陣侵入の契機になると、ゴール前でファーストレシーバーとなり、勝ち越しトライを奪取。センター適性もある強さが光った。
「味方が前に出てくれました。ボールをもらった時、外側にもスペースがありましたが、内に切ってトライを獲った形でした」
チーム目標は初のベスト4。しかし準々決勝で佐賀工業に16-31で敗れた。
「佐賀工業戦はディフェンスで前に出ることができましたが、前に出る意識が強すぎ、横との幅が広くなってしまいました。後半に運動量が落ち、キックでエリアを獲られた部分も反省点です」
自分の進路は、自分で決めてきた。
父・哲也さんは法政一高-法政大-トヨタ自動車でプレーした元日本代表CTB。しかしスポーツは好きなことをすればいいという教育方針で、渡辺は小学5年までサッカーに熱中していた。
転向のきっかけは2015年W杯だったという。
「2015年のW杯を観てラグビーが気になって、父に『やりたい』と言ったら『じゃあ頑張れ』という感じでした。ずっとサッカーでしたが、小学5年生から豊田ラグビースクールに入りました」
SO渡辺は大学でもラグビーを続ける。
その進学先も自分で決断した。
「現役時代の父親の試合を観て、ずっと法政大学に行きたいと思っていました」
父・哲也さんの印象深い試合は、2000年度の大学選手権セミファイナル「法政大×慶應義塾大」だという。
前年度の優勝校であり関東対抗戦も連覇した慶大に対し、2点リードの後半33分、豪快な突進でゴール下にトライを決めた。
旧・国立競技場で15-13で競り勝ち、決勝進出。アップセットで呼び込んだ関東学院大学とのファイナルは、今なお唯一の関東リーグ戦勢同士による決勝戦となっている。
昨季の法政大は、自力ではなかったものの6季ぶりに大学選手権出場。群雄割拠の関東リーグ戦で奮闘を続けている。
「大学で父親と同じユニフォームを着るのが夢でした。ですが、まずはしっかりジャージを着て、活躍して、対抗戦のチームに勝っていきたいと思っています」
父と同じ道を歩むが、渡辺圭祐として選んだ、自分だけの道だ。今春から、いよいよ法政大ルーキーとしての1年が始まる。