ラグビーリパブリック

花園を駆けた釜石のレガシー。仙台育英・及川勝太

2024.01.03

花園で仙台育英の12番をつけてプレーし、副将としてもチームを引っ張った及川勝太(撮影:多羅正崇)


 釜石育ちの青年が、花園を駆けた。

 第103回全国高校ラグビー大会。宮城・仙台育英のCTB及川勝太(おいかわ・しょうた)。

 60分間エナジーを発する170cm、82kgの背番号12。新日鐵釜石でプレーした父(勝加さん)を持ち、釜石シーウェイブスジュニアで楕円球を追った。及川自身が釜石ラグビーのレガシーのような存在だ。

 岩手・釜石のDNAを持つ及川だが、高校は隣県の強豪を選んだ。

 大きな理由が、花園だった。

「ブリ先生(仙台育英・ニールソン武蓮傳監督)が元釜石シーウェイブスで、出身スクールにも教えてに来たりしてくれていました。育英に進学した先輩もいたので、自分も花園に出たい、と思って(仙台育英に)進学しました」

 高校入学前から夢にみた聖地。

 念願の花園初出場となった1回戦は、背番号12を背負い、黒沢尻工との東北対決を46-10で制する。聖地での歓喜を味わった。

 12月30日の2回戦は、守備精度で後手となり大分東明に0-74で敗戦。12トライを浴びる大敗ムードの中、及川は鼓舞の声を絶やさなかった。

 3年間に終止符が打たれた敗戦後、東大阪市花園ラグビー場の正面広場でインタビューに応じた及川の目は、赤くはれていた。

「花園はプレーしていて、むちゃくちゃ気持ち良かったです。楽しくラグビーができたんですが、悔しい場所にもなりました。この悔しさを大学ラグビーで晴らしたいです」

 ただ及川にとっての大学ラグビーは、雪辱を果たすためだけの場所ではない。

 なぜラグビーをするのか。その問いの答えを、及川は若くして持っている。

「5歳の頃に震災があって、辛い中、僕はラグビーに助けてもらいました。その恩を、この花園で、自分でプレーしている姿で返せたのかなと思います。これからも大学ラグビーで頑張っていくので、自分のプレーを見てもらえたらなと思います」

 辛い日々を、ラグビーに救ってもらった。だから僕はラグビーに恩返しをする。釜石のレガシーに育まれた青年の幹は、太く、逞しかった。

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