現役時代のあだ名は「シュガー」。佐藤貴志の姓「さとう」=砂糖から来ている。
今、その「甘さ」は抜けた。選手時代、ともに戦った人間は言う。
「キリっとして、いい顔になってきました」
外から、能面のように見えた顔には喜怒哀楽が表れる。笑うと大きく目じりが下がる。感情の豊かさは人を惹きつける。
不惑を2つ超え、佐藤は良化している。今年4月、関西大学、略称「関大」のラグビー部監督に就任した。秋のリーグ戦は6位。2勝4敗1分で勝ち点11。前年の最下位8位から2つ順位を上げ、入替戦も回避した。
監督1年目を総括する。
「学生は頑張ってくれました。ただ、もう少し上に行かせてあげられたな、とも思います」
向上心は佐藤の美徳である。高校時代は控えSHながら、日本代表にまで上りつめた。
佐藤の出身は東海大仰星。3年時には全国優勝を果たす。79回大会(1999年度)の決勝は埼工大深谷(現・正智深谷)に31−7。当時、佐藤はリザーブ席にいた。正選手は同級生の吉田朋生(ともき)だった。
「トモキは特にディフェンスがよかった。一生懸命に走っていたイメージです」
吉田は東海大から東芝府中(現BL東京)入りし、日本代表キャップ25を得る。
佐藤の評価は悪くなかった。仰星の同期主将、FLだった湯浅大智は回想する。
「特徴は丁寧なパスと体の強さ。性格的には思い切りがよく、判断力に優れていました」
湯浅は現監督。全国大会の優勝は歴代4位タイの6回を誇るが、この79回大会の優勝はその最初に当たる。
仰星につながる競技を佐藤が始めたのは小2だった。友だちに誘われて、大阪の寝屋川ラグビースクールに入る。枚方(ひらかた)の蹉跎(さだ)中学でも続け、同じ枚方にある仰星に入学した。
大学は同志社に進む。指定校推薦で商学部に入った。5段階の評定平均値は4.4あった。
「学校の図書館で勉強したりしていました」
高3時、関大と縁がつながりかけた。指定校推薦を考えたこともあった。
「サッカー部の女子マネに取られました」
同志社は競技推薦ではないため、ラグビーを続ける必要はない。だらけていたところに仰星監督だった土井崇司から電話がある。
「大学の練習が始まっとんのに何してんねん」
恩師との通話は佐藤の人生を決定づける。土井は現在、東海大相模の中高の校長をつとめている。仰星の基礎を築いた。
同志社では2、3年時にリーグ戦に出場した。2年時の大学選手権は38回大会。8強敗退。法政に33−41。次の39回大会は1回戦で帝京に24−26で惜敗した。
その佐藤を評価したのはヤマハ発動機(現・静岡B)。SHとしてはやや大柄の174センチのサイズもあった。2004年度入社の同期SOは大田尾竜彦。日本代表キャップ7を持ち、今は早稲田の監督である。
「色々な人に会えたけれど、ワタルさんとの出会いが大きかったです」
村田亙。同じSH。日本代表キャップを41に積み上げるプロ選手だった。
ある朝のウエイトトレ、佐藤は全員で型にはまってやるのが嫌で、愚痴をこぼした。シャワーの時に年若きライバルにもかかわらず、村田は説諭してくれる。
「みんなの前でふてくされた態度はよくない。みんな見ているし、聞いている」
佐藤は我に返る。
「内容もそうだけど、タイミング、気遣いですよね。頭が冷えた練習後に、さりげなく言ってもらえました。ありがたかった」
真摯に練習に取り組んだ結果、2008年、ついに日本代表デビューを飾る。4月26日の韓国戦。「HSBCアジア五カ国対抗」だった。敵地・仁川で39−17と勝利する。
「フミがケガをしたので回ってきました」
田中史朗の穴を埋める。最終的に佐藤はキャップ4を得た。
ヤマハでは入社5年目にプロになった。2010年に神戸製鋼(現・神戸S)に移籍する。GMだった平尾誠二が誘ってくれた。
「佐藤、覚えてるかあ、って大学時代に、走り込みをほめてもらった話が出ました」
地元の関西で8年間プレーした。現役引退は2018年の3月。36歳だった。トップリーグ(リーグワンの前身)の最高位はヤマハで2位、神戸製鋼では3位だった。
神戸製鋼の最後はコーチ兼任。現役引退後にプロコーチとして本格的に大学生を教える。母校の同志社で4年。追手門学院の女子ラグビー部監督と立命館のコーチを1年間兼務した。そして関大に呼ばれる。経験は豊富だ。
監督に就任後、部訓を作った。
「夜のアルバイトや髪染めの禁止、授業に出る、といったことなんかですね」
強化には学生の生活を整えさせることが不可欠。本格的な指導の5年で学んだ。
佐藤が目指すラグビーは、ブレイクダウンの強さを求める。ボール争奪に勝てば、優位に試合を進められる。
「2人目が速く行って判断する。ジャッカルに入るのか、ディフェンスに並ぶのか」
スクラム強化も怠りない。ヤマハの同期だったPRの山村亮が時々顔を出す。日本代表キャップは39。今はWG昭島のFWコーチ。このつながりも佐藤の強みのひとつだ。
シーズンが始まり、練習後の補食も取り入れた。体を大きくするためだ。コーチ室には1升炊きの炊飯器4つ並ぶ。
「学生スタッフが頑張ってくれています」
炊き込みご飯などを作り、希望者に振舞う。費用は格安の月1000円。関大は専用寮を持たないため、下宿生にとってはありがたい。
佐藤は2年目を見据える。
「やろうとするラグビーは大きく変わりません。さらに、打ち込める環境を作っていってあげたいと思っています」
創部は1923年(大正12)。関大は大学選手権の開始時に早稲田、法政、同志社と参加したオリジナル4のひとつである。大学選手権は今年60回目を迎えた。関大は竜頭蛇尾になり、その出場は5回のみ。直近は52回大会(2015年度)。予選プール敗退だった。
今年、創部100周年を迎えた紺白ジャージーに、昔日の栄光を取り戻させたい。そのため、佐藤はこれからも奮励努力を続けてゆく。