徳島を出て4年目の秋、東京の国立競技場に立った。三木海芽は11月23日、早慶戦で慶大の12番をつけた。
このカードは普段、東京・秩父宮ラグビー場でおこなわれるが、今年は100回目とあり国立で開かれていたのだ。
試合は伝統的なライバルの早大が43ー19と勝利し、敗れた三木は「流れを持ったまま続けられなかった。流れに勢いよく乗っていかなかった」と悔やむ。ただ、公式で27,609人の観衆のもと感慨深くもあった。
三木は4年生で、卒業後は第一線から離れる。早慶戦の価値を噛みしめる。
「本当に一生に一度。この先、たぶんないことなので、(大舞台に出られて)嬉しかったです」
地元の徳島ラグビースクールでこの競技と出会い、一般入試で入った県立の城東高でも楕円球を追った。
城東高は、夏休みに1日4コマの補習をするほど学業に力を入れていた。課外活動の実績を活かしてラグビー部へ来られる生徒の数は、三木のいた頃で言えば年に4名ずつ程度。自ずと少数精鋭とならざるを得ないなか、伊達圭太監督の自主性を重んじる指導、防御へのこだわりを長所に、今年も7年連続17回目の全国高校大会行きを決めている。
三木も3年間、その舞台を経験。東大阪市花園ラグビー場でタックルし、球を回した。
爽快感のにじむ戦いは、各所で注目された。主将として迎えた2019年度の大会中には、ワールドカップ日本大会で8強入りの松島幸太朗、流大という2人の日本代表選手がツイッター(現X)で城東高へ好印象があった旨を投稿。三木は述懐する。
「めちゃくちゃ嬉しいですね。皆で大騒ぎしていました」
慶大とつながったのも、花園のおかげだった。
2年時に迎えた2018年度の大会中、元日本代表で慶大OBの栗原徹と知り合った。翌19年度から慶大を率いる栗原は、ちょうど城東高の試合をテレビで解説。2人はその後、対面し、三木は慶大受験を勧められたという。
ちなみに城東はその後、春の全国選抜大会で話題になった。部員不足のためテニス部からの助っ人へジャージィを着せながら、慶大の付属校である慶應高を21ー15で下している。つくづく、三木は慶大に縁があった。
慶大では挫折も味わった。ここには100名超の部員が集い、その一部はもともと全国上位の高校の主力選手だった。三木がファーストジャージィをつかむのは簡単ではなかったが、周りを見回せばあきらめなくてよいとわかった。毎年、努力の末にレギュラー入りする4年生がいたからだ。
「努力すれば、いつかは出られる」
首脳陣との対話を通し、攻守で身体を張り続けるという「自分の軸」を設定。フォーカスポイントをあえて狭めることで、他との差別化を図った。おかげで年を追うごとに1軍に絡むようになり、今季、不動のインサイドCTBとして活躍する。
かくして、国立競技場での早慶戦に出た。
「思い出に残る、自慢できるようなゲームだったと思います」
ラストイヤーはあとわずか。加盟する関東大学対抗戦Aの最終戦は12月2日、秩父宮であり、大学選手権2連覇中の帝京大が相手だ。三木は、ゲーム主将を担う。
卒業後は帰郷する。都心で商社マンや金融マンとなる仲間も多くいそうななか、三木は徳島でしかできないことをする。
クラブチームの選手として国体出場を目指しながら、母校をはじめとした地域の高校生を応援したり、指導に携わったりしたい。
「自分ができることは何かを考えた時、大企業で活躍するのも選択肢だったとは思いますが、僕が田舎から(関東地区に)出てきて、ラグビーで勉強したことを下の代につなげる。そしてその子が外に出て、いい景色を見てもらいたいと思っています」
視界を広げる感覚を、昔の自分のような青年たちと共有したい。そんな未来予想図を語ったのは、国立競技場でプレーした直後のことだった。