奈良には、そこでタグラグビーをやった者にとって帰れる場所がある。
「教室」とでも言うおうか。タグラグビーの試合と練習を絡めている。この教室は月に3回、開かれている。
主人公は全国大会のある小学生だが、中学や高校のお兄ちゃんやお姉ちゃんも顔を出す。この教室でタグラグビーをやった先輩たちだ。
高橋一博さんは指し示す。
「あの子は卓球でインターハイに行きました」
上級学校に進み、クラブ活動に違う種目を選んでも、ここに戻って来る。不登校の子でもこの教室には加われる。高橋さんはこの教室の代表者である。
小1の女の子は兄について来たが、気がのらない。ひとりで走り回り、なわ跳びをする。体育館の壁際にある「肋木」(ろくぼく)の登り降りを始めた。高橋さんは一応、声をかける。無理強いはしない。開始の午後7時に遅れて来る子も優しく迎え入れる。
高橋さんは「来る者は拒まない」という姿勢だ。その思いが、憩いの場のような、柔らかい雰囲気を作り出す。高橋さんは52歳。本業は小学校の先生だ。大きな眼(まなこ)を持つが、その目じりは下がっている。
「元々は小学校以外にも、もっとタグをやりたい子、うまくなりたい子なんかが集まる場所があればいいなあ、と思って始めました。おかげさまで7年目に入りました」
小5の石田瑛大(えいと)くんは汗をしたたらせながら、笑顔を向ける。
「ここで練習して、だいぶうまくなったと思います。トライを獲った瞬間は気持ちいいし、タグを取った瞬間もうれしいです」
石田君は日本代表の松島幸太朗さんのステップを参考にしているという。
高橋さんはこの教室でのきまりを話す。
「通っている小学校にチームがあっても、そこのユニフォームは着ない、ということです。みんなに仲良くなってほしいのです」
この教室が開かれているのは飛鳥小学校。「あすか」と読む。近鉄奈良駅から東南に徒歩で30分弱の距離がある。この奈良市立の小学校で高橋さんは10年ほど教えていた。
教室があるのは毎週木曜日。午後7時から8時30分までの1時間30分だ。校内にある体育館を使うため、天候に左右されない。第一木曜は休みにしている。
教室は準備体操から始まり、試合、練習、試合、練習、試合と重ねてゆく。練習は1対1の抜き合いやパスの放り方など、飽きさせず、上手くなってゆく工夫がある。
毎月3回の教室すべてに高橋さんは立ち会う。違う小学校での校務が終わってやって来る。年会費は3000円。年である。月ではない。「NTA」(奈良タグラグビーアカデミー=Nara Tag-rugby Academy)という名称はあるようだが、特にこだわりはない。
タグラグビーは腰の両端についたタグを取るとタックル成立とみなされ、攻撃が止まる。タグを4〜5回獲られると攻撃権は移る。1チームの編成は5人ほどだ。
タックルがない分、安全で小学生からラグビー未経験の大人まで親しみやすい。そのため、この教室でも学年を問わず、即席でチームを作って、試合ができる。
そのタグラグビーには小学生のための全国大会(参加は小4〜小6)がある。「SMBCカップ 全国小学生タグラグビー大会」だ。来月12月、各都道府県で予選が始まる。来年2月には埼玉の熊谷ラグビー場で本大会が行われる。今回は節目の20回目にあたる。
この大会は17回大会(2020年度)まではサントリーカップとして親しまれたが、19回大会から、三井住友銀行を中核とするSMBCグループが変わって特別協賛になった。
その全国大会を支えるひとりに高橋さんは入っている。日本ラグビー協会の普及・競技力向上委員会に属し、関西地区のタグラグビー部門員でもある。奈良県ラグビー協会の理事も兼務する。
そういう要職にありながら、高橋さんは勝利や権威にのめり込まない。この故郷の奈良で、30年近く初等教育の最前線で、生徒と向き合ってきたことがあるのだろう。
現在、6年生22人の担任だ。高橋さんの勤務先は奈良市立の鼓阪(つざか)だ。
「タグラグビーのクラブはありません。体育の授業ではやっています」
赴任は5校目。鼓阪では3年目に入る。
高橋さんの出身学部は教育。隣県にある和歌山大で4年間を過ごした。入学後、ラグビーを始める。現役時代の体格は165センチ、60キロほど。WTBを任された。
「何か新しいことを始めたいと思いました」高校は地元の郡山。当時は弓道部だった。
弓道は基本的には個人だが、ラグビーは団体スポーツである。そこで集団における自分の立ち位置を学ぶ。
高橋さんの腰が低いのは、大学から競技を始め、スタートが少し遅かったこともあるのだろう。その少し引いた態度も、この教室における出汁(だし)になっている。
その居心地のよさは、この教室を巣立ったり、困りを抱えた子供たちの訪れが、何より物語っている。この教室こそ、タグラグビーが目指す姿を示しているといえよう。