小村健太には偉大な祖父がいる。ラグビー界の「伝説」、山口良治である。
「おじいちゃんは、おじいちゃんなんで」
小村の目じりは下がる。つるっとした育ちのよさそうな顔の中にある。
まずは祖父そのものとしての存在が小村にはある。日本代表キャップ13、伏見工を全国優勝に導いたことなどは、最初には来ない。
とはいえ、57の年の差がある祖父の影響はある。小村は4歳から競技を始めた。
「小さい時からラグビーボールがずっと家にありました」
社会人2年目の今もレッドハリケーンズ大阪で続けている。略称はRH大阪。リーグワンのディビジョン2(2部)に属する。
昨年、同じNTTグループ傘下のRH大阪と浦安D-Rocksはチーム再編をする。RH大阪は小村を含め社員選手中心となり、最も低い3部からのスタートになった。その不利を感じさせず、優勝する。自動昇格した。
その3部戦、新人の小村はWTBとして12試合中、9試合に出場した。先発2、入替は7である。開幕ゲームは12月17日、ヨドコウ桜スタジアムであった。その九州KV戦に祖父は応援に来てくれた。足が不自由で杖は手放せない状況、激しい雨も降っていた。
小村は交替WTBとして後半16分から出場する。42分には、リーグ戦初、そして決勝となるトライを挙げた。CTB金勇輝(きむ・よんひ)のキックパスを左大外で受ける。
22−18と逆転勝利を手繰り寄せた。
「うれしかったです。僕が出るまで、おじいちゃんのテンションは少し低かったようです。その分、トライが獲れてよかったです」
祖父は来年2月で81歳になる。娘が2人いる。小村は長女の慶子の第一子である。弟は真也。帝京大の3年生FBである。
祖父は日本代表のFLとして、1971年(昭和46)9月28日のイングランド戦に出場する。得点は3-6。初来日したラグビーの母国を秩父宮で追い詰める。その興奮で試合後には5千人もの観衆がグラウンドに乱入した。日本ラグビー界の語り草のひとつである。
指導者に転じては、伏見工の全国V4の礎(いしずえ)を築いた。最初は60回大会(1980年度)。SO主将は平尾誠二だった。平尾は後年、「ミスター・ラグビー」と呼ばれる。この優勝は監督就任からわずか6年目。その高校は校名を京都工学院に変えている。
小村はその祖父の現役時代はおろか、指導者として脂が乗っている時期も知らない。
「でも、山口先生にお世話になりました、って言う人にたくさん出会って来ました」
周囲からその偉大さを伝え聞く。
小村は競技を始めたのは大阪工業大学ラグビースクールだった。中学の菫(すみれ)では大阪府の選抜チームに選ばれる。そして南半球に渡った。ニュージーランド(NZ)の高校、ハミルトン・ボーイズに入学する。
中3に上がる春休み、体験入学のようなものに参加する。
「体育を緑の芝生の上ではだしでやったり、楽しそうでした。おじいちゃんも賛成してくれました。よかったです」
NZには伏見工も遠征を実施していた。小村もそれに帯同したり、なじみはあった。
英語は話せなかった。
「寮には日本人がおらず、丸1日、日本語を話さない時もありました」
寮生活や部活動としてのラグビーの中で徐々にマスターしてゆく。
大学は帰国を選び、帝京にゆく。
「強い大学で、どこまでチャレンジできるのか試したい気持ちもありました。コーチの福田さんと連絡をとらせてもらいました」
福田敏克は伏見工のOBでもある。監督の岩出雅之(現・顧問)にとって祖父は日体大の先輩だった。ここにも重なる縁がある。
帝京には史上最長の大学選手権9連覇が途切れて入学した。4年生の時に小村にとっては初となる学生日本一に輝く。
「公式戦は2年から出してもらいました。4年の春も出してもらいましたが、冬はケガで出られませんでした」
最終学年では喜びと悔しさが入り混じる。
次の所属先に決めたRH大阪には親近感があった。
「ラグビースクールの大会などがこの南港グラウンドでありました」
そして、関西に戻れば、祖父たちは観戦しやすい。
この赤いチームを小村は気に入っている。
「雰囲気がいいですね。ベテランと若手の差もないし、よくしてもらっています」
日本人選手は小村も含めてほぼ社員。立場が違わないことも居心地のよさにつながっているのだろう。
小村の勤務先はドコモCS関西の神戸支店である。このNTTドコモの機能分担子会社において、データー収集や店舗における販売の支援業務をしている。
仕事をしながらの目標は一部への昇格だ。
「ディビジョン2のトップ3に入って、入替戦を戦える位置に来たいです」
開幕戦は12月9日、RH大阪は昨年と同じ、九州VKと対戦する。
その開幕に向けて、小村はキックを磨く。
「最大30分は個人練習をしています」
FBやSOができれば、出場の幅は広がる。さらに祖父はキックの名手だった。イングランド戦ではプレースキッカーをつとめた。
その祖父のことを小村は仰ぎ見る。
「みんなにいい影響を与えてきました。尊敬しています」
人生のお手本はすぐ身近にある。困った時は祖父の歩んだ道筋を見たり、聞いたりすればいい。心強いことこの上ない。