対応力に伸びしろがあった。
3季連続での大学日本一を目指す帝京大は、11月5日、加盟する関東大学対抗戦Aの5試合目で教訓を得た。
夏の練習試合で62ー7と下していた早大に、試合終盤まで3点差と迫られていた。
最後は36ー21で勝ったが、不完全燃焼だった。大きく抜け出した後のつなぎ、ペナルティキックからの蹴り出しでミスを重ねていた。
「春、夏とスコアが開いたんですけど、決してそれに対して油断していたわけじゃないです。ただ、結構、自分が分析したことと想定外のことが起きていて…」
こう反省するのは青木恵斗。1年時から主力の3年生FLだ。
個人としては力強い突進で前に出たり、味方が奪ったボールを前方へ蹴ってだめ押し点を促したりと奮闘。ただ、自己評価は低かった。
帝京大が24ー14と10点リードしていた後半28分。自陣22メートル線付近で、相手ボールラインアウトからの攻めに対峙した時だ。
1次目から2次目に移る際、帝京大は防御網を右から左へ移動。早大がその方向へ展開すると読んだためだ。ところが実際、早大は反対側の右にボールを回した。
その区画には、早大があらかじめ複数の走者を配置していた。読みが外れた帝京大は数的不利を強いられていて、その並びのうちひとりが青木だった。
相手の攻め手が多い際の防御では、接点側からパスが飛ぶ方向にじっくり移動する「流し」がセオリーとされる。
しかしこの時、青木の目の前には早大の佐藤健次が立っていた。佐藤は青木にとって桐蔭学園高時代の同級生で、相手校のキーマンでもある。
青木は佐藤が目に入ったためか、一気に早大との間合いを詰めた。
すると、パスを受けた佐藤は青木の死角をすり抜けた。最後は、大外でほぼフリーで待っていたLOの村田陣悟へパス。まもなくトライとコンバージョンが決まり、早大が24ー21と点差を詰めた。
青木はこうだ。
「いつも早大さんは順目にアタックする(同一方向に攻め続ける)。それに対して帝京大も順目に人数を割いていたら、ショートサイド(この時で言う右側)に人数が少なくなって…。そしてあの場面、僕はちょっと(佐藤との間合いを)詰めかけて変なディフェンスをしてしまった。僕が流しておけばスコアされないシーンだった。こういった個人のミスが、チームの失点に響いてしまったことをまず反省します」
この時以外も、想定外の動きに手こずったという。
早大はこの日、新布陣を機能させていた。
もともとHOだった安恒直人をFLで起用。コンタクトの強度を底上げしていた。
さらに司令塔のSOに、控え組から昇格の久富連太郎を入れた。それに伴いSOに入っていた野中健吾を本職のCTBに回し、万能BKの伊藤大祐(示に右)主将を最後尾のFBに立てた。動きの幅を広げた。
青木は「早大さんのアタック、メンバーも変わっていたため、自分が受けに回ってしまった」と認めた。改善点を述べた。
「(事前の)分析だけじゃなくて、(その場での)対応を。もっと冷静にしていきたいなと思います」
身長187センチ、体重110キロ。攻守で力強さと器用さを発揮する。早期の日本代表入りを目指しており、この秋おこなわれたワールドカップ・フランス大会にも熱視線を注いだ。
「世界ではひとりひとりのフィジカルが強く、スキルも高い印象があった。自分は運動量、ブレイクダウン(接点での激しさ)がまだまだ甘い。『もっと頑張らなくちゃ』という刺激がすごくありました」
個別の選手で印象的だったのは、アマト・ファカタヴァだ。
日本代表のLOに入り、ランで、タックルで爪痕を残した新星である。
プールステージのアルゼンチン代表戦では、左タッチライン際で受けた球をキックして自ら捕球。派手なトライを決めている。
青木にとってファカタヴァは、目指す選手像に近い。
「あちこち動いて、裏にキックして。かつ、ブレイクダウンやキャリー(密集地帯で身体を張る動き)もしっかりしていた。僕もそういった選手になりたいなと思います」
自身がプレーするFWの第2、3列には、ファカタヴァのような海外出身選手がひしめく。日本代表になるには厳しい競争が避けられないと、青木は自覚する。
苦しんだ早大戦の直後、「(海外では)若い選手も多い。そこ(目の前)の選手にまず勝つことを目標に、日々頑張ろうと思います」と決意を新たにしていた。