あの頃はまるで、宙に浮いているようだったという。
帝京大ラグビー部の相馬朋和監督は、ルーキーの青栁潤之介を幼少期から知る。
潤之介の父・勝彦氏は、相馬が現役生活を過ごした三洋電機(現埼玉パナソニックワイルドナイツ)の先輩である。勝彦氏は引退後もコーチを務めていた。潤之介は、長男で2つ上の龍之介と群馬県太田市のクラブハウスへ出入りしていた。少年時代の潤之介は活発で、選手にちょっかいを出しては追い掛け回されていたようだ。
潤之介がじゃれ合っていた選手のひとりは、元日本代表の霜村誠一氏。引退後は桐生第一高ラグビー部の監督となっていて、潤之助が選ばれた高校日本代表でもコーチを務めていた。
帝京大で指揮を執る相馬も、まだ小さかった潤之助に尻を蹴られたことがあるらしい。成長した本人はどのエピソードにも「覚えていない」と応じるが、自身の監督になった相馬に「おい、もう1回、ケツを蹴ってもいいんだぞ」と言われた時は少し困った。ラグビーのもたらす縁を思う。
「どこに行っても知り合いがいるなぁ…と」
宙に浮いているようだった、と相馬が回想するのは、バスケットをしていた潤之介を見た時のことだ。
自身の子どもが出ていたバスケットの試合に応援に行くと、一緒に出場していた潤之介の滞空時間に驚かされた。きっとこの少年は、バスケットで道を開くのだろうと思った。
潤之介はラグビーを選んだ。地元の東毛ワイルドナイツに幼少期から在籍していて、中学時代にバスケットをしたのもラグビーのためだった。
「ハンドリングをよくするために始めたんですけど、バスケ部が忙しすぎてラグビーは1年で2~3回くらいしかラグビーに行けなくなって」
進学した國學院栃木高では、本腰を入れてラグビーに没頭。2年時に全国準優勝を果たした。今春には、高校も同じだった龍之介に倣うように帝京大入り。大学選手権2連覇中というこの強豪でも、入学早々にレギュラーとなった。
身長177センチ、体重83キロ。タッチライン際のWTBとして、高い弾道のキックへ「練習通り。自信があります」と堂々と飛びつく。
攻めては果敢にスペースへ駆け込み、防御の死角をえぐる。正面に相手がいる際も「当たる瞬間にくいっとずらせば、五分五分に戦える」と巧みにフットワークを駆使。防御ラインをすり抜けたり、タックラーに捕まりながら前に出たりする。加盟する関東大学対抗戦Aでは、10月までに4戦で5トライを挙げている。
地面で球を置くダウンボールの動きも、丁寧そのものだ。
相手に触られぬよう抱えている球を、地上に倒れると同時に味方側へ置く。父が基本プレーを重視するFLだったとあり、潤之介本人も「(ダウンボールは)お父さんもよく言うんで、やってるっす」。ばねと脚力でチームに勢いをもたらしながら、勢い任せのプレーに走らない。
それにしても、帝京大は部員100名超の大所帯だ。競争率の高いチームですぐにチャンスを掴んだのは、なぜなのだろうか。本人は「練習試合や練習のうちから、自分の強みを見てもらいました」とし、こうも補足する。
「私生活の時から先輩、上の人(レギュラー格)とコミュニケーションを。そうしないと、試合でコミュニケーションを取れないですから」
既存の主力選手との関係性は、キックパスを呼び込むコーリングなどに反映される。相馬は「帝京大でレギュラーを獲る選手は皆、そうですよね(周りと対話する)。考える力を持っている」とし、起用理由を語る。
「単純に身体的な能力が高い。あとは大事なところで結果を出す。その積み重ねで、4年生のリーダーから信頼を得ています」
常勝集団における新人起用は、「先行投資」と見られがちだ。しかし相馬は「その意思はないです。このチームでそれはしちゃいけない。出られない上級生が納得できないでしょう」と強調する。
「(1年目から)出ている人はそれぞれいい部分がある。平均点を出したら他にいい選手はいるのかもしれないけど、いい部分で比べた時に(平均的な好選手より)高い点を出していれば、それはいい選手と言えるのではないかなと。あくまで僕の主観だから、正しくはないでしょうけど」 持ち前のシャープさと積極性で爪痕を残す潤之助。これからの目標を聞かれ、「小さいことかもしれないですけど、怪我せずに毎試合、試合に出続け、自分の色を出せたらなと思います」。高校時代は怪我に泣いたとあり、地に足をつけていた。11月5日、東京・秩父宮ラグビー場で早大戦に出る。