現実を見た。
筑波大ラグビー部は10月15日、帝京大に0-73で屈した。
加盟する関東大学対抗戦Aの4戦目。トライラインは遠かった。攻め込みながらも被ターンオーバーからすぐに失点することも多く、完封負けを喫した。
「ボールを獲られた後に一発で持っていかれることが続くと相手の流れになって、うまくいかなくなる。そこは反省です」
会場の群馬の森エンジニアリング桐生スタジアムでそう話すのは、谷山隼大。今季の主将だ。
昨季からNO8に入って自由に動いていたが、この日は1年時の定位置だったBKのアウトサイドCTBでプレー。折しも、チーム内のBKに怪我人が増えていた。
ポジションの配列と試合展開から、谷山はなかなかボールを持てずにいた。後半開始早々に鋭いランを繰り出したが、防御に捕まったところで孤立した。「仲間を見ながら、もっといい判断ができていたんじゃないか…」。球に手をかけられた。
「BKでうまくボールをもらいながらチャンスメイクするのが自分のテーマだったんですけど、止まって、相手が目の前にいる状態でボールをもらって、あまりいいキャリーができなかったです」
2年連続で学生王者の帝京大には、前年度の大学選手権でも5-71で敗れていた。今度の再戦でも似たようなスコアで戦い終えたのだが、心境は違う。冬の選手権で再戦の可能性をにらみ、谷山は言う。
「前回は負けたら終わり(トーナメント戦)ということで残念な気持ちが強かったですが、いまはもう1回やり直そうというポジティブな気持ちが強くて。ただ、点差は変わっていない。そこをもう1回、見つめ直す。本気で頑張らなきゃなという危機感もあります。いま自分たちにできることは、方針を変えるのではなく、やってきたことを貫き通すこと。ポゼッション、ディフェンスで前に出ることです」
子どもの頃は、放課後になれば野球のボールを手に「壁あて」を繰り返す日々。ひとりの世界が好きだった。
いまは筑波大の主将として、多くの部員と手を取りあう。難局と対峙する。
嶋﨑達也監督に信頼される。
「ものを言うキャラじゃなかった彼が、チームの決まりごとができていない同学年の選手に『できていない』と(奮起を)求めていた。人の痛いところを突くのは難しいと思うのですが、いままで受け流していた部分に介入し、『変えなければいけない』と話を持っていった」
福岡県出身だ。父・信隆さんの影響で玄海ジュニアラグビークラブへ入ったのは、小学1年の頃だった。同時期には、近所の宮地嶽相撲クラブへも通って足腰と礼儀作法を磨いた。中学時代はラグビーと並行し、陸上の走り幅跳びに取り組んだ。
身長184センチ、体重94キロ。強靭さ、ばね、ストライドの大きさを攻守に活かす。福岡高では全国大会とは無縁も高校日本代表となり、センター試験、実技や論述の2次試験を経て、筑波大の体育専門学群へ入った。
1年時から主力入り。2年目に負った故障が癒えた3年時は、一貫して持ち味を発揮した。ぶつかり合いの激しいNO8の位置に入りながら、ロングキックでも魅した。全国4強入りを成し遂げ、いまは将来の日本代表入りも期待される。
嶋﨑曰く、「高いレベルで怪我せずにプレーできれば、そういうレベルに近づいていけると思っています」。指揮官の言葉通り、才能のあるアスリートは怪我をしなければたくさん練習でき、その分うまくなったり、強くなったりする。
卒業後に加わるチームで国内トップレベルの選手とたくさん練習ができるようなら、谷山のポテンシャルはより磨かれるのではないか。嶋﨑監督は頷く。
「去年も、練習し続けているとどんどん伸びていました」
谷山はフロンティア精神にあふれる。大学のシーズンが終了すれば、しばらく7人制に注力する。パリ五輪での日本代表入りへアピールする。
その後に意識するのは、15人制日本代表への選出、さらにはワールドカップ出場だろう。
今秋、フランスでおこなわれたワールドカップを見れば、それまでのワールドカップの時とは異なる感情を抱いたと本人は言う。
「彼らがあんなレベルでやれているのは凄いと思うし、焦るというか、うらやましいとも感じます。(互いの)環境は大きく違いますが、自分のできることを積み重ねていくことが、その舞台に行くために大切なのだと思っています」
各国代表に20代序盤から中盤の選手が名を連ねるなか、尻に火がついているのだ。
茨城県内のキャンパス近くで暮らすいま、できることを全うしたい。
8強入りを逃した日本代表は、高い弾道のキックの獲り合いでやや後手を踏んだ。その領域は谷山が得意としていて、「活躍の場があると感じます。その局面を想像し、頑張っていきます」。未来の自分に期待しながら、いまいるチームを引っ張る。11月5日、埼玉・熊谷ラグビー場で成蹊大とぶつかる。