「もっと努力しとけよ」
藤岡竜也は高校生だった頃の自分にそう伝えたい。
近大の背番号13を自らのものとする3年生は、想定外のラグビー人生を歩んでいる。こんなにも、ラグビーに夢中になるとは思ってもみなかった。
はじめは”やらされた”ラグビーだった。
ラグビーが熱烈に好きな父・俊英さんに勧められ、4歳から堺ラグビースクールに通った。金岡北中でもラグビー部に入った。
高校では競技を続けるつもりはなかったけど、父の願いを受け入れて辞めなかった。
「部自体は楽しかったですけど、あまり勝ちたいと思わなかったし、やりがいもいまと比べれば全然で。負けてばかりだったのも嫌でした」
浪速高校では3年時に花園予選4強入りを果たすも、上位校の壁は厚く、高かった。
「なので、大学でラグビーをして、活躍しようとか、有名なろうとか、そんな気持ちは全然なかった」
184㌢、97㌔とBKとしては大型で、足はすらっと長い。ポテンシャルの高さを感じさせる。
浪速の鳥飼賢(とりかい・まさる)監督は、逃さなかった。
「大学どうしようかと考えていた時に、鳥飼先生から絶対にラグビーした方がいいと言われて。先生が自分の好プレー集を作ってくれて、近大の練習会にも参加させてもらった。いろいろしてくれたおかげで入れました」
上を目指したい。
そう思えるようになったのは、入学時に4年生の凄みに触れたからだ。当時のキャプテンは、同校を9年ぶりに選手権出場に導いた福山竜斗(現・相模原DB)。周りも志の高い人間ばかりだった。
「ついていきたい、追いつきたい、上手くなりたいと思えて。最初はCとかDチームでめちゃくちゃなプレーばかりでしたけど、スタメンを取りたいという高い目標ができた」
それから体重を10㌔増やしてサイズアップに成功。当たり負けない身体ができあがった。「タックルされても倒れなくなりました。そこで自信がつきました」
かくして昨春からレギュラーを掴んだ。シーズン中に一度はスタメン落ちを経験するも、「成長するチャンス」と前向きに昇華した。同期でしのぎを削るライバルがそうさせてくれた。
「諦めるのは簡単だなって。もう一度頑張ろうと思えたのは、(代わって先発した)志和池(昴豊)のおかけです。もし最後までAチームに戻れなくても、最後までやり切ろうと思えた」
その間は課題のディフェンスの強化に注力した。グラウンドでは野々村成朗(ののむら・しげあき)BKコーチに間合いの詰め方など基礎を叩き込まれ、自室に戻れば動画を何度も見返した。
いまでも自主練の時間は同期でPRの蔡唯志を誘い、苦手克服に励む。
そうした努力の甲斐あって13番に復帰した同志社大戦では、思い切りの良いタックルでチームを救い、得意のオフロードやランから幾度もチャンスを作った。自身も2トライを挙げる活躍で、最終節を前に選手権出場の可能性を復活させた。
「ラインブレイクできたのも、僕からしたら味方のパスが上手いってだけなんです」と本人は謙遜したが、今季はセットプレーからのアタックでファーストレシーバーを務めることが多い。キャリアーとしての、チームの信頼が伝わる。
この春にはU20のセレクションキャンプに呼ばれた。代表に選ばれることはなかったが、「シーズンで絶対に見返す」と秋の活躍を誓う。気づけば社会人になっても「リーグワンのチームに行けるなら絶対に行きたい」と競技継続を願うまでになった。
高校生の時には想像できなかった現実とのギャップの連続に、「あまり実感はない」と笑う。
その原動力のひとつに、父・俊英さんの存在も挙げた。
「実は、小学生の頃からお父さんがグラウンドの真横で写真を撮っているんです。ちゃんと(撮影者の)ビブスを着て。僕が活躍したらめっちゃ喜んでくれる。親のために頑張ってる部分も”ちょっと”はあります」
恵まれた体格に生んだ親に感謝し、いまは上だけを見つめてグラウンドを駆ける。