コロナ禍で3年延期された『かごしま国体』のラグビー(成年)で、鹿児島セブンズが躍動した。激闘の末、準優勝に輝いた。
鹿児島県協会は今国体に向け、地元選手を地道に育成、強化してきた。
そこに、地元愛に燃えるリオデジャネイロ五輪時の日本代表主将、ミスターセブンズこと桑水流裕策(鹿児島工出身)が現役に復帰し、加わった。
また、東芝ブレイブルーパス東京所属で、ユニバーシアード金メダルなどセブンズ経験もある桑山聖生(鹿児島実出身)の加入もあり、歴代最強チームを作り上げて大会へ挑んだ。
10月9日の初日、広島、新潟、埼玉に対してほとんど得点を与えなかった鹿児島は(失トライ1)、3戦全勝の圧勝で予選を1位通過した。
翌日(10月10日)、2日目の決勝トーナメント1回戦からは、栃木を43-7、準決勝で東京に22-5と磐石の試合運び。危なげなく決勝に駒を進めた。
決勝は、リーグワンの三重ホンダヒートの選手を中心とした三重が相手だった。
国体2連覇中の優勝候補との一騎討ちとなった。
試合は、取りつ取られつのシーソーゲーム。先行する三重に対し、鹿児島代表が一丸となって追い付く。
その後、いったんはリードするも追い付かれる展開。前後半14分で12-12と両者譲らず、今大会初の延長サドンデスに突入した。
最後は、地力で上回る三重が鹿児島のディフェンスを破って中央にトライを奪い、劇的に優勝を決めた。
しかし最後まで諦めず、持てる力を出し尽くした鹿児島には、駆けつけた大勢の地元観客から、盛大な拍手が贈られた。
見る者を惹きつける好ゲームだった。
戦いを終え、桑水流は、「ホームでの国体ということで、本当にたくさんの応援を頂き、決勝までいくことができました。最高の舞台で大好きなセブンズができた。とても楽しい2日間でした」と戦いを振り返った。
リオ五輪が終わったときから、鹿児島県ラグビー協会関係者から2020年開催予定だった鹿児島国体出場の打診があった。
しかし同選手は、指導者の道へ踏み出し、プレーから離れていたこともあり、明確な意思を示してこなかった。
気持ちが固まったのは今年7月だった。桑水流は、鹿児島県代表も参戦していた北海道でのピリカモシリセブンズに、ナナイロ プリズム福岡のヘッドコーチとして参加していた。
事前に、タイミングが合えば鹿児島県代表の選手として出場してほしいと打診があったことから、スパイクとマウスピースは持参していた。
タイミングが合ったので試合に出場。「自分の感覚として、思った以上にプレーができた。なので、選手としての国体出場を目指すことに決めました」と話す。
県側もそのパフォーマンスを見て、元代表主将を選手選考の俎上に正式にのせた。
本格的なストーリーの始まりだった。
国体での日々を振り返り、「試合を重ねるごとに、チームの雰囲気、繋がりが強くなっていくのを感じました。周りの雰囲気(メディアの数が試合を重ねるごとに増えていく、鹿児島を応援する会場での声が多く、大きくなるなど)がリオの感覚と似ているなと感じました」と言う。
国体は選手登録10名。有資格者の監督登録1名で、監督も選手として出場可能というレギュレーションがあったため、監督兼選手としての登録だったものの、リクルートや日々のコーチングなどはノータッチ。仲間とともに力を束ねる感覚を味わった。
地元の選手たちと時間をともにして感じたのは、県内選手の可能性の大きさだ。
「今回の大会で、それを示すことができたのではないかと思います。決勝の相手はリーグワンに所属する選手だけで臨んでいました。その相手に延長戦まで持ち込めたことは、その証かな、と」
故郷で、地元の人たちの琴線に触れる戦いをする。それはアスリートにとって、大きな夢のひとつだろう。
世界を相手に戦ってきた者にとっても、その喜びに違いはなかった。