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【再録・解体心書⑧】驚異の成長期。ワーナー・ディアンズ

2023.10.10

*ラグビーマガジンの人気コーナー『解体心書』にかつて掲載された、ワールドカップ2023日本代表メンバーのインタビューを抜粋して再録。(掲載内容はすべて当時のまま)

ワーナー・ディアンズ[東芝ブレイブルーパス東京] *2022年11月号掲載

高校卒業後にトップリーグに進む決断は、実はあっさり定まっていた。自分が少しでも上のレベルへたどり着くにはどうしたら? 本人には道がくっきり浮かび上がるようだった。しかし、ここまでのスピードでその階段を駆け上がることになるとは。自分さえ驚かせるほどの急成長。二十歳になったばかりの日本代表ロックは、ブレることなく「もっと上」を目指す。(文/成見宏樹、写真/髙塩 隆)



 デビューがいつも鮮烈だ。

 高校を卒業した年、リーグワン出場よりも前に、日本代表キャップを獲得した。2021年11月13日、コインブラで後半36分に出場した(日本38-25ポルトガル)。

 ふた月ほど経った1月8日、東京・味の素スタジアム、2022年リーグワン第1節の東京SG戦に先発、フル出場(BL東京46-60東京SG)。

 結局、2022シーズンは開催17試合中15試合に出場し、すべて先発、8試合フル出場と、実質1年目を主軸として駆け抜けた。

 6月25日、ウルグアイ戦第2テストに先発50分間出場。7月2日、フランス戦第1テストに途中出場で20分間。7月9日にはフランス第2テストに先発、65分間プレーした。

 凄まじい勢いでスターダムを駆け上がった1年半だ。高校生がインターナショナル選手になるまでの過程を、本人目線で振り返ってもらう。

「このオフは久しぶりにニュージーに帰りました。3年ぶりかな。実家のあるウェリントン、ふるさとのホークスベイ、カンタベリー…。人と色々と話せてリフレッシュになりました。
 面白かったのは、バスケットを一緒にやってた友達と、街なかでばったり会ったこと。彼はアメリカの大学バスケにチャレンジしていて、NBAを目指してる。向こうも短い帰省中で。お互いの競技のこと話しました」

「マインドは、ゆっくり休めました。ただ、トレーニングはずっと続けていました。その方がラク。高校から東芝に入った時は、思い切り1か月くらい休んでしまって、復帰した時に、めちゃめちゃしんどかったから。
 今回は特に、日本代表合宿が控えていた。練習がしんどいことは分かっているので、そこをイメージして、ずっと準備してきました」

「この1年少しで、いろんな経験をしました。中でも大きかったのは『高校からプロ』のギャップでした。東芝では、3年目くらいで先発に定着できればいいなとイメージしていた。今の状況はちょっと…想定と違いましたね。
 自分としては、初めから、『フィットネス、悪くない。ストレングスも、ひどくはない』――って感じてた。父や母には、今はメンタルの成長が一番重要だよねって、アドバイスされていたのを思い出します」

「自分なりに成長を感じた時期は、もちろんあります。1年目、ジャパンのNDSから府中に帰ってきた頃、プレシーズンでキヤノンと釜石との準備試合がありました。
 キヤノン戦は途中出場で、あんまりいいプレーができなかった。タックル2回して終わってしまった。これじゃダメだと思って、次の釜石SW戦では、初めから飛ばして行きました。そしたら、たまたまキックチャージが決まって、そのまま自分のトライになった。
 同じ試合で、外国人のデカい選手が、突発的に自分の前にボール持って走ってくる場面になった。とっさだったので思い切りタックルに入れました。その一発がすごく自信になりました。『いけるな』って思った。自分のフィジカルが、ある程度通用するんだと」

「その試合の後、ジャパンから電話が来ました。ケガ人が増えて合宿に呼ばれた。そこで積んだトレーニングも自信になった。
(ポルトガル戦を終えて)戻って少ししたらリーグワンの開幕。サントリー戦、自分はまだ出られないと思っていた。スタートだよって言われて驚いた。『えっ、早いな』と。前半は夢中でやってる感じ。トライも取れたし、ハーフタイム、コーチから注意は何もなくて、いい感じ。そのままいこう、と。
 後半10分くらいで代わるから思い切りいけと。そしたらリーチ(マイケル)さんが、少し脇腹痛めて交代になった。俺、最後までプレーすることになりました(笑)。この試合、俺、人生で初めて80分プレーしました。
 初めての80分がリーグワン開幕戦で、プロのデビューで、相手がサントリーで、トライもして(リーグワン&トップリーグ通算最年少トライ/19歳と272日)。さすがに、『もういける』と思いました」

 高校時代に出会った恩師・相亮太監督の教えもあり、アスリートとしての思考には主体性がある。自分の体、自分のメンタル、自分の未来。周囲への影響。たかがラグビー、されどラグビー。

 今、プロとしてビルドアップに専心する心境は、良い意味で閉じている。目の前のことに集中する。今、足元にあるステップを一つ登ることに心を傾ける。

 ベンチで過ごした試合を含めて17試合。リーグワンのシーズンは毎週が、凝縮したレッスンの連続だった。一段ずつ踏み締めてきた階段は、知らず自分を見晴らしの良い高さまで連れてきてくれた。その先に、夏のジャパン、ウルグアイ戦、フランス戦が待っていた。

「リーグワンで試合に出ることには平気になったけれど、一つひとつのコンタクトレベルを上げることはずっとテーマだった。この試合はタックル、この試合はキャリーにフォーカス。できれば次の段階に進むし、できなければ原因を理解してもう一度チャレンジする。
 週ごとのテーマは、コーチと話す中で固めていく。自分はこう感じている、ということをコーチと確認していくイメージ。迷ったら、自分の大きな目標を思い出します。『世界一のロックになる』。世界一のロックだったら、どうするかを考えればいい」

 リーグワンから、いっときおいてジャパンの夏キャンペーンへ。

「自分はもともと、フィットネスはまあまあで、フィジカルも上がってきたところ。やらなきゃいけないのはハードワークだったと思います。これは今もずっとテーマ。
 ウルグアイ戦(第2テスト)、コーチには『プレーはいいよ』と言ってもらえたけれど、自分としては、よくなかった。アクションとアクションの間をもっと頑張らないといけない。
 いいアクションだとしても1回で終わったら意味がない。それがハードワーク。フランス戦も、それをずっと意識していた。少しは成長できたかなと感じたけど、まだまだ。それを、次の秋の合宿でも続けてやっていきたい」

「第2テスト、勝負は、惜しかったですよね(日本15-20フランス)。僕は今、あんまりスコアとか気にしないでやる方なんですが、交代してベンチに座ったらもう70分、『お、勝ってる…』(日本15-13フランス)。次の瞬間、相手が逆転トライしました(笑)」

 ちょっと待った。相手は世界ランキング時点1位のフランス、相手については何も意識をしなかった?

「ウルグアイ戦の段階ではまだ不安があったかもしれない。フランスの2戦はもう、自分のやることに集中していました。プレーとプレーの間を、今日はどれだけできるか。フランスの選手、確かに素晴らしかった。タックル受けた瞬間、あっ重いなと思ったけれど、結果自分も前には出られていたから…。俺も、強いはずです」

 自分を成長させるプログラムについてもう少し尋ねてみたい。毎週、毎週、ではなく、長い期間をかけてビルドアップする事柄は持っているか。

「お父さんの影響もあって、4歳でラグビーをしました。バスケットボールも楽しくやっていたし、小学校時代はSO、ずっとスキルの練習はやってきてるつもりです。身長が伸びてNO8やLOになって、ジャンプの技能も覚えられた。だから、スキルのベースについては、もう今持っているもので、だいたいイイ。今から取り組むのはハードワーク、そういう段階にいると思っています」

 自分にとって一番成長できるやり方を。こうした思考の幅をもたらしているのは、ラグビーのメンターでもある父・グラントさんだ。

 中学2年時、父の仕事について日本にやってきた。千葉県スクール代表に選ばれ、全国ジュニア大会にも出場。

「当時は、ラグビーやりたい気持ちが強かった。楽しかった」

 高校選びは父と一緒に決めた。流経大柏には日本代表候補選手の経験もある相監督がいた。ボディ・マスタリーと呼ばれる体のコントロールを学び、古武術のアプローチも体験した。速い相手への対応、低いプレーなど、まだ本人も言語化していない要素をふんだんに吸収した。1年時はグラウンドの隅で涙を流すこともあった。

 厳しい夏合宿が印象的だ。

「同期と仲良くなった。2年たっても、離れたくないと思える仲間になりました」

 3年時の花園は準々決勝敗退(10-14大阪朝高)。その結果よりもプロセスの色々な場面が、今も自分の糧になっている。

「僕はここで育ったので、普通にここで代表になります」

 高3の終わり、憧れていたオールブラックスの夢から、日本代表を目指して成長の階段を刻むパスウェイを選択した。選んだ進路はNZではなく、大学でもなく、東芝(ブレイブルーパス東京)。トッド・ブラックアダーヘッドコーチや、リーチ マイケルの存在も挙げ、「自分が一番成長できる選択」と当時、答えていた。

「今思ってもベストの選択です。あの時点で自分にほかにいい道はなかった。周りが言うような、オールブラックスにつながる道はなかった」

 夏、国代表をめぐる国際ルール変更を受けて、「日本代表ワーナー ディアンズ、NZ代表を視野に」という新聞記事がNZで出た。短いインタビューを受けた覚えはあったが、自分の答えとは距離のある文面だった。偽らざる心境は「今は、もうNZの代表のことは考えてないですね」だ。

「ジャパンで2023のワールドカップに出ること、まずはオーストラリアAの試合に出ることしか考えてない」

 冒頭のオフの話。

 旧友と話して、改めて感じたことがある。

「ラグビーってしんどい競技だなと。例えば、バスケはスキルが一番重要。ゲームで、どんな時でもスキルを発揮できるかの厳しさがある。ラグビーは体もメンタルも追い込まれる中で、ハードワークを貫いたチームが勝つ」

「もしスキルで世界一でなくても、タックルで世界一の FLになれる。そういうところが好きです。俺はハードワークを磨いて、世界一のロックになりたい」

 見やる高みには少しのブレもない。今、目の前のワーナーはどんな階段を見つめているか。試合ごと変わっていく驚異の成長期は続く。

File
●名前/WARNER DEARNS
●生年月日/2002年4月11日生まれ
●身長・体重/202cm・123kg
●所属歴/ネイピア・パイレーツ(4〜12歳)→ネイピアボーイズ校(13歳〜)→あびこRS(14歳〜)→流経大柏高→東芝ブレイブルーパス東京(’21〜)
●代表歴/千葉県スクール代表、日本代表
●家族構成/父・グラントさん(元GR東葛コーチ)、母・ターニャさん(元ネットボールNZ代表)、妹・カイラさん(デザインを学ぶ大学生)

Rugby
●ラグビーを始めた学年/4歳(ネイピア・パイレーツ)
●ラグビーを始めた頃の憧れの選手/ダン・カーター(元オールブラックス)
●ポジションの変遷/SO→NO8→LO
●一番印象に残っているゲーム/第100回全国高校大会3回戦(流経大柏21-17常翔学園)
●尊敬する選手/ブロディ・レタリック(オールブラックスLO)
●目標とする選手/ブロディ・レタリック
●もっとも敵にしたくない相手/テビタ・タタフ(日本代表)
●ライバル/特にいない
●どこに勝つのが一番うれしい?/強いチーム「今のリーグワンならパナ(埼玉WK)」
●影響を受けた人物/父
●もっとも印象的な指導者/父
●気に入った遠征地/コインブラ(ポルトガル)「ほんとにきれいなところでした」
●好きな海外チーム/ホークスベイ・マグパイズ(NZ地元の地区代表)
●ラグビーのゴールは?/世界一のLOになる

自分の事
●座右の銘/Hard work beats talent when talent did not hard work.
●ラグビー以外に得意なスポーツ/バスケットボール
●好きな食べ物/ピザ
●苦手な食べ物/魚「幼い時にあたってしまい、未だに、煮ても焼いても食べられない」
●好きな映画/『ライオンキング』
●好きな俳優/ライアン・レイノルズ
●好きな音楽/R&B
●趣味/映画鑑賞
●ニックネーム/「ないよ! ワーナーです」
●尊敬するスポーツ選手/レブロン・ジェームズ(NBAレイカーズ)
●試合前に必ずすること/音楽を聞く
●ラグビーをやっていなかったら/バスケット選手
●いちばん落ち着ける場所/「家。府中の自分の家」
●帰省したとき必ず食べるもの/ミートパイ
●ふるさと自慢/「ホークスベイはワインが有名! それを育てているワイナリーがあって、自然があって。とてもいい土地」
●誰でもディナーに招くことができるなら/リッキー・ジャーヴェイス(イングランド出身のコメディアン・脚本家)、レブロン・ジェームズ、ボン・スコット(1974年結成のオーストラリアのロックバンドAC/DCのボーカル。スコットランド出身。1980年没)

My Favorite
●これがなければ生きていけない!/ポウンナムのペンダント(写真下)。マオリ文化において大切にされる鉱物。グリーンストーン。「子供の頃、母のネットボールの友だちが、僕にそっとくれました。彼女はマオリなので、特別な意味があると思って大事にしています」