*ラグビーマガジンの人気コーナー『解体心書』にかつて掲載された、ワールドカップ2023日本代表メンバーのインタビューを抜粋して再録。(掲載内容はすべて当時のまま)
齋藤直人[早稲田大学] *2019年3月号掲載
大学日本一までもう少しのところまではたどり着いた。アカクロのジャージーは伝統の早慶戦、早明戦を制して成長。大学選手権で久々に正月超えを果たすも、頂点には立てなかった。そんなチームの中で9番を背に、輝きを放ち続けたのが齋藤直人だった。高速の球さばき。正確な判断とキック。そのレベルは、ワールドカップトレーニングスコッドに選出されるほどだ。日本一と世界の舞台。大学ラストイヤー、手にしたいものを全力でつかみにいく。(文/田村一博、写真/髙塩隆)
明大との決戦(1月2日/大学選手権準決勝)後、2日間の休みを挟んで設けられていた集合日。上井草(東京都杉並区)のラグビー部寮に戻った齋藤直人は、さっそくウエートトレーニングを再開した。
「はやく動きたいと思って。1日半くらい(横浜・戸塚の)実家に帰りました。ゆっくりするのは、それで十分かな、と」
チームは試験期間を終えた後、2週間ほどオフに入る。2月の予餞会で新体制が発表され、新シーズンが動き出す。
「いまウエートトレーニングへのモチベーションがすごく高いんです。シーズン中は疲労のことを考えると、あまり重いものは挙げられないじゃないですか。でもこの時期は、そういったことを気にせず、下半身も強くできる。だから追い込んでいます。食事の量も増やしている。カラダを大きくする時期です。しっかりやりたい」
早稲田でのラストイヤーを、いまより大きな土台を用意して迎えたい。さらに良い選手になるためだ。チームをもっと強くしたい。コーチに「休むことも大事だぞ」と言われるも、「そろそろボールにも触りたい」。動かないと落ち着かない。
桐蔭学園から早大に入学して3シーズンが過ぎた。12月中にシーズンを終えた1、2年生のときと比べると、正月超えの3シーズン目は確かに先に進んだ。
「でも悔しい。早稲田は勝たないといけないチーム。優勝しないと評価されません。2年間でそう理解してきました。ただ、過去2年越えられなかった壁を越えられたのは良かった。この1年は、チームとして一丸となって戦った感覚が強かったですから。今年の4年生が作ってくれたそういうところは、自分たちの代でも受け継いでいきたいですね。ただ、今年と同じようにやっていたら、準決勝止まり。どこをどう変えていくかはまだはっきりしませんが、今年以上のものをチームとして作っていきたいです」
試合のあとは、いつも寝つきが悪い。1月2日の夜も、明大年の試合映像を見返し、天理大×帝京大のものも見た。
「明治は早明戦の時とは違うチームのようでした。ディフェンスが強かった。前半、一発で取られ過ぎました。後半は、明治が強いと分かっているエリアに入れてしまった」
20分過ぎ、40フェーズを重ねるもトライラインは遠かった。その時間帯を、「攻め手がなかった」と振り返る。
「あの場面、映像を見返すと早稲田は疲れていました。実際にプレーしているときは、我慢比べだったら早稲田の継続の方が強いと思っていましたが、(治療でひとりが外に出ていて14人だったからか)あまり走れていなかった」
ゲームマネジメントを任されているHB団として悔しい。大学1年時から赤黒の9番を背負い続ける男は、そう言って成長を誓う。
ラグビーは3歳で始めた。神奈川県立柏陽高校でラグビーをプレーした父・雅彦さんの影響だ。横浜ラグビースクールに入った。
同スクールに中学まで所属。南舞岡小、日限山中ではサッカー部にも入っていた。そのお陰でいまもキックがうまい。精度の高いプレースキックはチームの得点源のひとつだ。
中学3年時は、花園で開催された全国ジュニア大会に神奈川県スクール選抜の一員として参加。優秀選手に選出されるも、「ラグマガに写真が載らなかったことが悔しかった」と覚えている。
強いチームでやりたい。
そんな気持ちで進学した桐蔭学園高校では、1年時から花園の芝を踏んだ。ベンチスタートも、後半途中から決勝の舞台に登場した。
転機は高校2年の夏だった。その年はAチームの9番を背負っていたのに、菅平での夏合宿、東福岡戦の先発を1年生に取られた。心当たりは、前の試合での低調なパフォーマンスだ。防御時に抜かれたりした。
「後輩に負けた。それが悔しくて、悔しくて。その日から取り組み方が変わりました。それまでも高校ジャパンになりたいとか口では言っていましたが、本気度が変わった」
自己分析は「かなりの負けず嫌い。特に、得意分野に関しては絶対負けたくない。そのためだったら継続して努力できる」。
その言葉通り、衝撃の日を境に、ラグビーノートには多くのことが書き込まれるようになった。
「ノートは、練習前や試合前に書くものです。やるべきことを書き出し、絞り込み、暗記するぐらい叩き込んでグラウンドに出て実行する。それを繰り返しているうちに、いろいろなことが自然と頭に浮かぶようになっていきました」
リザーブ落ちの翌試合。常翔学園戦にはSOで先発の座に復帰した。以後、二度とレギュラーを他に渡すことはなかった。2年生の終わりには高校ジャパンにも選出された。
進化の理由はラグビーノートの存在もあるが、やはり、トレーニングへの取り組み方の変化が大きい。
「フィットネスの練習でも何でも、日頃から絶対にチームでいちばんになるつもりでやっています。妥協しない。それを徹底したら力がついた」
高校時代に学んだものが自身の礎になっている。
「ラグビーの土台は、桐蔭で作ってもらいました。メンタル。判断。基本的な考え方。HB団は、特に藤原先生(監督)から求められるものが大きい。鍛えられました。桐蔭は練習でもなんでも、ごまかしがきかない。(藤原)先生に褒められたこともないと思います。でも(選手たちは)みんな、あの人に認められたい。厳しいけど(監督のことが)好きなんです。よくOBで集まって、桐蔭は良かったよな、って話します」
早大進学は、幼い頃からの憧れの気持ちを最優先に考えて決めた。高校時代の2学年上、憧れていた堀越先輩(康介/現・サントリー)が「将来、日本代表になり、ワールドカップに出たいから、それを実現させるために帝京に行く」と話すのを聞いて心が揺れた時期もあったが、初志を貫いた。
「早稲田に来て、伝統の重みをすごく感じます。長い歴史。それを応援してくれる人たちの思い。それらを感じながらプレーできる環境は幸せです。ただ、早稲田でラグビーをやって本当に良かったと思えるかどうかは、来シーズン次第だと思っています。自分がどんな役職に就くかは分かりませんが、やるべきことをやり切り、最高の結果を残したいです」
そんな思いを胸にスタートを切った2019年は、ワールドカップイヤーでもある。大学4年時に迎える世界的祭典は、学生ナンバーワンのSHにとっても無縁ではない。
昨年8月下旬発表の第2次ワールドカップトレーニングスコッドには、学生で唯一名を連ねた。また、昨春はジャパンAのNZ遠征メンバーに選出。スーパーラグビーチームのディベロップメント軍と戦い、勝利にも貢献した。桜のジャージーまでの距離は、他の大学生と比べてはるかに近いと言うより、日本のSHの上位にランクされる。
「第2次スコッドに名前があっても活動機会はなかったし、(昨年12月発表の)第3次スコッドからは名前が消えていました。自身がある、ないではなく、そりレベル(の練習や試合)で一度やらせてほしい。そう思います。実際にやれる機会があったなら、自分に何が足りないのか、どこで対等に戦えるのかが分かる。試してもらうチャンスも、自分の力で勝ち取らないといけない。それも理解しています。ただ、そんな気持ちをアピールすることもできないので、呼ばれたときにチャンスをものにできる準備だけはしておきたい。そういった意味でも、毎日を意識高く過ごそうと思っています」
少しでもいい選手に。向上心が、齋藤を支えている。大学に入ってから個人練習の時間は増えた。毎回の全体練習後、パスやキック、ウエート、フィットネスなどに約90分かける。特にパス、キックは必ずやる。
「パスはアーロン・スミス。ダイナミックさではJTペレナラを参考にしています(ともにNZ代表)。蹴るのはモルガン・パラ(フランス代表)。コナー・マレー(アイルランド代表)もキックはうまいけど、体のサイズが大きいので、参考になるのはパラかな、と。プレースキックも蹴りますし」
一流選手の映像をチェックするのは日常的。学ぶ意欲にあふれる。
3年時の春シーズンはCTB中野将伍とともにサントリーサンゴリアスにインターンの形で加わり、所属メンバーと同じ時間を過ごした。
「教わったことはたくさんありました。ポイントからポイントへの中間走時の視野の持ち方であったり、肩の動き。SHも防御側にアタックオプションのひとつと見られるように、相手に対して肩をスクエアにするとか、細かいところを高いレベルで教わり、刺激になりました。サントリーやジャパンAなど外国人選手がいる環境での練習、実戦、それに大学で厳しい試合を経験してきて、自分自身、どんな相手にも気後れすることなく向かっていけるようになった。大学1年の頃は、帝京の飯野さん(晃司/現・サントリー)や堀越さんが向かって来ると怖いと感じることもありましたが、変わった。だから自信があるとかないとかの話しでなく、ジャパンとか、そういったレベルでやってみたい」
そう話した後、「やってみたい気持ちがある。というのは(自分の中に)自信がある、ということなんですかね」と頬を緩めた。
タラレバの話として、「もしもジャパンに選ばれたら、大学4年のシーズンですが、是非プレーしてみたい。快く送り出してくれる仲間たちです」とワールドカップの舞台に憧れる胸の内を口にした。
2019年を、生きてきた中でいちばんのビッグイヤーにしたい。
File
●名前/齋藤直人(さいとう・なおと)
●生年月日/1997年8月26日生まれ
●身長・体重/165㌢・75㌔
●学歴/横浜市立南舞岡小→横浜市立日限山中→桐蔭学園高→早大スポーツ科学部3年
●代表歴/ジャパンA、ジュニア・ジャパン、U20日本代表、高校日本代表
●家族構成/父・雅彦さん、母・明子さん、妹・若葉さん
Rugby
●ラグビーを始めた年齢/3歳(横浜ラグビースクール)
●ラグビーを始めた頃の憧れの選手/大畑大介(元日本代表、神戸製鋼/ポジションに関係なくすごいと思った)
●ポジションの変遷/CTB・SO・SH(小)→SO・SH(中)→SH・SO(高)→SH(大)
●一番印象に残っているゲーム/ジャパンAでのブルーズ戦(さよならトライは人生初)
●尊敬する選手/中野将伍(早大3年/努力する姿をいつも見ている)
●目標とする選手/流大(サントリー/リーダー!)、アーロン・スミス(NZ)、モルガン・パラ(仏)
●もっとも敵にしたくない相手/中野将伍、栗原由太(慶大3年)、テビタ・タタフ(東海大4年)(みんな怖い)
●どこに勝つのが一番うれしい?/勝利はすべてうれしい
●影響を受けた人物/藤原秀之監督(ラグビーの土台を築いてくれた)、堀川隆延(ジャパンAヘッドコーチ/ラグビーの考え方に刺激をもらう)
●気に入った遠征地/フィジー(暑いところが好き。フレンドリー)
●好きなラグビー場/保土ヶ谷ラグビー場(3歳から中3まで毎週通った)
●好きな海外チーム/ハイランダーズ
●ラグビーのゴールは?/日本代表とスーパーラグビー。ラグビーと関わり続ける
自分のこと
●好きな食べ物/チョコレート(ホワイトチョコが好み)
●苦手な食べ物/梅干し
●好きなタレント/小松菜奈(かわいい)
●好きな映画/ひゃくはち(桐蔭学園野球部がモデル)
●好きな音楽/洋楽
●よく見るサイト/ゲキサカ
●趣味/映画鑑賞(オフの日によく観る)
●ニックネーム/ナオト
●尊敬するスポーツ選手/武尊(タケル/K-1)
●試合前に必ずやること/ラグビーノートに書いたことを見る
●これがなければ生きていけない!/家族
●ラグビーをやっていなかったら/サッカー
●お気に入れの街/横浜(ホーム)
●好きな母の手料理/すべて好きも特にハンバーグ
●いちばん落ち着ける場所/自宅のベッド
●こだわりのギア/スパイク(いまは青/できるだけ長い期間履く)
●上井草自慢/早稲田ラグビー部を応援してくれる
My Favorite
●「大切なあなたへ」御木幽石(写真下)
「家族から成人式に贈られた本です。メッセージブックで、それぞれのページに書いてある言葉を見ると、落ち込んでいるときも励まされる。みんなのために頑張ろうと思えます」。巻末には家族からのメッセージが書き込まれ、愛犬・ランの足形が押されている。