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【再録・解体心書⑥】もう一度、あの舞台へ。シオサイア・フィフィタ

2023.10.07

*ラグビーマガジンの人気コーナー『解体心書』にかつて掲載された、ワールドカップ2023日本代表メンバーのインタビューを抜粋して再録。(掲載内容はすべて当時のまま)

シオサイア・フィフィタ[天理大学]  *2020年8月号掲載

 もう狼たちの咆哮を耳にすることはないけれど。2月のレベルファイブスタジアム。サンウルブズの開幕戦で強烈なデビューを飾ったパワーランナーの存在は、今季のベストプレー集に加えられるはずだ。シオサイア・フィフィタにとってスーパーラグビーは、子供の頃からプレーしたいと願った場所でもあった。今季は大学最終学年。悔いなき1年を送って、再びあの場所に戻りたい。(文/森本優子、写真/髙塩隆)



 6月11日、梅雨入り直後の強い雨の中、天理大学の今季のチーム練習がスタートした。新型コロナウイルスの影響で、それまでは自主練習のみだった。練習開始2日目、4年生で副将を務めるシオサイア・フィフィタも、ホッとした表情を見せた。

「これまでは一人で練習したり、ジョインする選手がいたら一緒にやったり。ようやくチーム練習が始まって嬉しいです。コンタクト練習はまだできないから、スキル、フィットネスが中心です」

 自主練とはいえ、とりわけフィフィタは自らを追い込んでいた。サンウルブズの一員として、オーストラリアで再開されるスーパーラグビーに参加が決まればすぐに合流できるよう、スタンバイしていたのだ。実はこの取材も、「サンウルブズが動き出せば、そちらに参加するので」と、しばし保留となっていた。だが6月2日、チームは活動終了を発表。メンバーにはZOOMミーティングで知らされた。

「3月に試合が中断されてからも、いつ呼ばれても行けるように、毎日トレーニングは続けていました。サンウルブズがなくなってしまい、さみしい。もっと試合がしたかった。何より、日本で試合ができなかったのが残念です」

 大学3年生(当時)での正式契約は具智元(ホンダ)に続く2人目(現在の最年少はイノケ・ブルア)。スーパーラグビーでプレーすることは、子供の頃からの夢だった。

「去年の10月くらいに、小松節夫監督から、そういう話があると言われて、すぐ“行きたいです”と答えました。聞いたときは、めっちゃ嬉しかった。ずっと夢にしてきたから。いつか来るだろうなと思って、これまで頑張ってきた」

 登場のインパクトは強烈だった。開幕戦となった2月1日の福岡・レベルファイブスタジアム。前半9分、CTB森谷圭介主将のチーム初トライを生み出したのも、フィフィタのビッグゲインから。80分を通じて「これが大学生か」と驚くほどのパフォーマンスを披露。試合後は記者に囲まれた。

「レベルズ戦、僕らはチャレンジャーとしてやってやろうと、迷いはなかった。全力でぶつかろうと思っていました。試合前にあれだけ緊張したのは初めてでしたが、自分が思っていた以上の出来でした」

 全6試合に出場し、5試合はフル出場。プレータイムは、LOのマイケル・ストーバーグと同率1位だ。本来のポジションであるCTBには森谷主将、ベン・テオ、JJ・エンゲルブレヒトと名だたる選手がいたため、シーズン前の合宿から練習ではWTB。CTBで出たのは、控えから出場したブランビーズ戦1試合のみだった。

「WTBをやったのは高校(日本航空石川)以来。久しぶりにやってみたら、みんな速い(笑)。世界のレベルはすごいなと感じました」

 ランナーとしての強さ、スピードを披露した半面、慣れないせいか防御面ではミスもあった。

「ディフェンスは難しかったですね。CTBが止まってしまうと内に入るしかなくて、入った瞬間にとばされる。一つミスをすると、そこから崩されてしまう。同じことを繰り返さないよう、試合中に修正しないといけない。いい経験ができましたし、勉強にもなりました。CTBとしてもためになることがたくさんあった。両CTBがコネクトしないとディフェンス全体がバラバラになる。WTBをやったことで、学んだことも多かったです」

 憧れの選手とも対戦が実現した。ハリケーンズのCTBンガニ・ラウマペだ。2月29日、ネイピアでの対戦は15-62と苦いスコアとなった。

「結構やられました。フィジカルも強いし、スキルもあった。いつか、CTBとして対戦出来たら…」

 強い相手と揉まれたことで、己の未熟さも見えてきた。

「自分に足りないものは、細かいスキル。世界で戦うなら、スキルとスピードをもっと速くしないと。沢木さん(コーチングコーディネーター)から言われたのもスキル。WTBでのボールキャッチについて、よく指摘されました。フィジカルは自信になったし、まだまだいけると手ごたえもありました」

 新型コロナウイルスの影響で日本での試合が開催中止となり、海外での生活は長かった。ルーミーは、テビタ・ツポウ。向こうでは日本食が恋しかったという。

「ずっとオーストラリアにいてホームシックとかはありませんでしたが、日本の寿司が食べたかった。僕はサーモンが好きなんですけど、日本のほうが絶対おいしい。向こうでも食べに行ったから、これは間違いない。日本に帰ってきて、すぐに食べに行きました(笑)」

 様々な国から集まった仲間と過ごした時間。短かったけど、濃密な日々だった。

 愛称サイアことシオサイア・フィフィタはトンガ王国ハアバイ諸島で生まれた。上に兄、下に妹が二人の4人きょうだいの2番目。父・バウラさんもクラブチームでラグビーをしていたが、父親の試合を見た記憶はない。サイアは小さい頃からスーパーラグビーの試合を見るのが大好きだった。

「10歳の頃から、スーパーラグビーの試合はライブで欠かさず見てました。’11年に優勝したレッズが好きでしたね。選手はハリケーンズにいたタナ・ウマンガが好きでした。学校で普通にタッチフットはやってましたけど、ずっと本格的なラグビーを始めたいと思っていた」

 小学校を卒業し、本格的にラグビーを始めるにあたって、フィフィタ少年が希望したのは、本島にある名門トンガカレッジでのプレー。

「ハアバイ島にいてもラグビーはできましたが、どうせやるなら、一番強いところでやりたかった」

 次男の入学を機に、一家でトンガタプ島に居を移した。母親は小学校の教師をしており、ハアバイ島に派遣されて子どもたちを教えていた。父も仕事でNZに行くことが多かったから、引っ越すのは難しいことではなかった。それでも、家族でフィフィタの夢をかなえようと後押しがあったという。

 トンガカレッジに入学した当時は、まだ線の細い少年。それでもスピードは抜きんでており、すぐにファーストグレードのチームに。かたわら、陸上でハードル競技もやっていた。

「本格的にラグビーを始めたかったけど、コンタクトは苦手でした。80㌔もなかったから。その頃はスピードで相手をかわしていました。
 トンガは中学と高校一緒になっていて7年間通うんですが、5年間通って、そこで日本航空石川からオファーが来たので、日本に来ました。ちょっと迷いましたが、新しいチャレンジをしたいなと思って」

 ’14年、日本航空石川に入学する。「最初は“こんにちは”しか知らなかった」というフィフィタが、トンガから石川県に着いた翌日、連れていかれたのは奇しくも天理だった。

「日本に着いたのがちょうどゴールデンウイークで、いきなり毎年の天理遠征に出かけて、Bチームで試合に出ました。まだ日本のラグビーもよく知らないし、チームメートの名前も覚えてないのに(笑)」

 それでもシオサイア・フィフィタの名前はすぐに広まった。花園で思う存分活躍すると、天理大学に進学。

「ここに決めたのは、(ファウルア)マキシさん(現クボタ)たち先輩がいたこともありますが、大学で日本一になりたいなと。関東のチームは考えてなかったですね。僕が高校生の頃は帝京大が強かったので、いつか帝京大を倒して日本一になろうと思って天理に来ました」

 大学でもその突破力は抜きんでていた。1年からすぐにレギュラーに。2年時には大学選手権準決勝でその帝京大を破って決勝に進出。日本一に手がかかったが、明大に17-22で涙をのみ準優勝。3年生の昨季は準決勝で早大に大敗した。

 ラストシーズン、フィフィタは副将としてキャプテンの松岡大和を助ける立場に。

「サンウルブズで成長して戻ってきた」と小松監督も認める。

「BKは拓朗(松永)がリーダーなので、サポートします。まだ関西リーグがどうなるかわかりませんが、何とか試合をしたい。今年は日本一しか考えていない。とにかく早く試合がしたいですね」

 来季はプロフェッショナルプレーヤーとして、日本でプレーする。

「いい環境でラグビーができるチームを考えています。もしいけるなら、もう一度スーパーラグビーにも挑戦したい」

 兄のナフェさんはいまシドニーで働いており、オーストラリアでプレーすることになれば心強い存在だ。ラグビースタイルが好きなのはクルセイダーズ。

「スキルもあるし、きっとすごく勉強になると思う。6月から始まったアオテアロアも楽しみです。NZのチームはみんな強い。どこが優勝するかわからない」

 今でも合宿所ではスーパーラグビーの中継に釘付けだ。そしてもう一つの大きな夢がある。日本代表として3年後にフランスで開かれるW杯でプレーしたい。

「去年のW杯もずっと観ていました。いつかその舞台に立ちたい。次のW杯を考えるなら、今年のテストマッチに出るメンバーに選ばれたい」

 尊敬する選手は、トンガカレッジの2年先輩だったアタアタ・モエアキオラ。なにくれとなく面倒をみてくれた。だから日本代表でもアタと一緒にプレーしたいと願っている。

 新型コロナウイルスの影響で前期はオンライン授業になったが、卒業のメドも立った。卒論は、日本とトンガのラグビー比較がテーマだ。

 先が読めない今季の大学ラグビー。なんとかもう一度、漆黒のジャージーを着て思い切りプレーしたい。

File
●名前/Siosaia Fifita
●生年月日/1998年12月20日生まれ
●出身/トンガ ハアバイ島トフォア
●身長・体重/187㌢・105㌔
●学歴/コウロGPS→トンガカレッジアテレ→日本航空石川→天理大学国際学部4年
●代表歴/高校日本代表、U20日本代表、ジュニア・ジャパン、サンウルブズ
●家族構成/父Paulaさん、母Melenaiteさん、兄Nafeさん、妹Tupouさん、Uiniさん

Rugby
●ラグビーを始めた年齢/15歳
●ポジションの変遷/CTB
●一番印象に残っているゲーム/スーパーラグビーの試合
●尊敬する選手/アタアタ・モエアキオラ(神戸製鋼・トンガカレッジ時代の先輩)
●尊敬するコーチ/沢木敬介さん(サンウルブズ コーチングコーディネーター)
●好きな国/日本
●好きなチーム/日本代表
●プレーしてみたいチーム/日本代表
●好きなラグビー場/秩父宮ラグビー場
●ラグビーのゴールは?/2023年W杯日本代表

自分のこと
●好きな食べ物/寿司、特にサーモン
●好きな本/聖書
●好きな映画/プリズン・ブレイク
●好きな俳優/ドウェイン・ジョンソン
●趣味/ラグビーの試合のビデオを見ること、映画鑑賞
●ニックネーム/サイア
●尊敬するスポーツ選手/ダン・カーター
●試合前に必ずやること/聖書を読む
●最も落ち着く場所/家
●ラグビーをやっていなかったら/勉強していた
●母親からのアドバイス/どんな時でも親切に、感謝を忘れずに
●ディナーに3人招くとしたら/両親、彼女

My Favorite
●15歳で家族と離れて日本に来たとき、母親がくれた聖書(写真下)。毎日毎晩、特に決まったページはないが、目を通す。扉を開くと家族全員の顔写真が貼られている。