日本代表としてのデビュー戦が、ワールドカップの試合だった。しかもメンバー入りが正式に決まったのは、試合が間近に迫ってからだ。
フィールドに立つまでの心境を、福田健太が自ら振り返る。
「前日まですごく緊張していて、(ウォーミング)アップも緊張するかと思ったんですけど、その時は落ち着いてできた。そして、いざ試合に入ってみたら…。やや緊張が出たところはありましたけど、ワールドカップという大きな舞台をひとつ経験できたのは今後の財産になったかなと思います」
現地時間9月28日。フランス大会の第3戦で後半35分から出た。
SHで先発予定だった流大が故障で出場回避していた。それを受け、福田がリザーブに繰り上がっていた。
サモア代表を28-22と下すなか、国際舞台のリアルを感じた。
「ひとりひとりのコンタクトの強さは激しいものがあった。自分のディフェンスは強固なものにしないといけないと感じました」
恩師の言葉を胸に秘めた。戦前、明大時代の監督で、いまは東京サントリーサンゴリアスを率いる田中澄憲からメッセージをもらっていた。概ねこんな内容だった。
<おめでとう。いつも通り、プレーすることを楽しんできて>
簡潔な文言で「心が落ち着いた」。それは、尊敬する人の言葉だったからだろう。
福田が覚えているのは、いつも自宅から朝練に通い、グラウンド前の寮に住む部員よりも早く準備を始める田中の姿だ。福田にとっての田中は、ハードワークの大切さを姿勢で示す指導者だった。
分析力でもうならせた。ライバル校との試合があったある時のことだ。当日に相手が繰り出したあるサインプレーが、当時ヘッドコーチだった田中が事前に「もし俺が相手の監督だったらこうする」と話していたのとほぼ同じ形だった。
大学3年の秋には、背筋の凍るやりとりも経験した。
合宿所のホワイトボードに、<福田健太、田中まで>。呼び出しだった。
「きょう、どう? 練習」
折しも試合のメンバーから外れるなどし、少し不貞腐れていた。見抜かれていた。
「全然、だめ。態度に出ている。そうなることは予想していたけど、案の定だな」
田中は福田を、将来のリーダー候補と見ていた。期待を込めて発破をかけたのだ。
厳しく当たるだけではなかった。
ヘッドコーチから監督に昇格した2018年度、4年生になった福田を主将に指名。シーズンが深まれば、仲間との意思疎通を図らせるべく4年生同士で飲みに行くよう提案した。一方で1対1のミーティングでは、「お前が一番、負けん気を出すことが大事だ」と背中を押した。
2人は、22年ぶり13回目の大学日本一を達成した。
それから約4年半。福田はワールドカップの舞台に身を置いている。
10月8日にはスタッド・デ・ボージョワール(ナント)で、決勝トーナメント進出をかけアルゼンチン代表に挑む。
心境を問われる。選考合宿に参加した6月中旬からの日々を思い出し、こう述べる。
「6月から合宿を重ねてきたメンバー、スタッフの絆が大きなものになっている。(大一番が近づくことへの)不安があっても、周りの選手と繋がりながらいい準備ができればその不安が取れて、試合の日には皆がいい自信を持っている状態になる」
仲間と繋がって結果を出す。恩人からのエールに応える。