もう27歳。まだ27歳。
感じ方は、人それぞれだろう。
吉川遼(きっかわ・りょう)はニュージーランドで、前者の感覚を得た。
2022-23シーズンまで、日野レッドドルフィンズでプレーした。
最後の年は不完全燃焼に終わった。不祥事により、レッドドルフィンズがシーズン途中で活動を打ち切ったからだ。
今春、チームが発表したリリース選手の中に自分の名前が入った。
トライアウトを経て、2019年から日野の一員になった。
ラストシーズンは、チームが戦った全4試合に14番で先発。その前年も7試合に出場し(全11戦)、そのうち6試合が先発だった(14番=2試合、15番=4試合)。
「可能性を秘めた仲間がいました。チームのことも好きでした。なので、もっと強くなる過程を一緒に経験したかったのですが」
その思いは不本意な形で途切れてしまった。
レッドドルフィンズに加わった当初は社員選手も、2022年からプロ選手になった。
よりラグビーに没頭するためだ。スポーツマネジメントの勉強など、やりたいこともあった。
社員選手のままだったら、いまも日野の一員としてチーム再建に力を注いでいたかもしれない。
しかし、自身の決断には悔いがない。
いつかは大学時代を過ごしたニュージーランドでプレーしたい、とも考えていた。日野を離れたタイミングで、迷うことなく南へ向かった。
ラグビーを始めたのは東京、世田谷の千歳中に入学してからだ。國學院久我山高校でプレーを続けた。
大学は国内での進学も考えたが、最終的にニュージーランドのワイカト大に学ぶ。
フレイザーテッククラブでのラグビーライフは、人生を豊かにしてくれた。
今回はニュージーランド北島の東海岸、ネイピアに向かった。
知人の紹介もあり、ホークスベイ代表のワイダースコッドに入り、デベロップメントメンバーにもなった。同代表の選手たちとともにトレーニング。そして、オークランドやワイカトとの練習試合にも出た。
ハイボールへの対応やワークレートの高さをアピールできた。
しかし、NPC(NZ国内州対抗選手権)を戦うホークスベイ代表のスコッド入りはならなかった。
もう27歳と、チャレンジの途中で感じた。
ともにトレーニングする仲間、所属したネイピア・パイレーツのチームメートの顔ぶれを見れば、ほとんどが年下。やりたいことはたくさんあるのに、自分に残された時間は決して多くないと思った。
もっとラグビーをしたい。
プロとして高みを目指したいと願っている。
日本のラグビー界でもう一度プレーし、レッドドルフィンズでは成し遂げられなかった夢を果たしたい。
強く、そう思っている。
ことがうまく進まなければ、場所は問わない。声がかかっているドイツでも、スコットランドでも、どこにでも行く。
W杯でのパフォーマンスを見て、ポルトガルにも惹かれている。
チャレンジしながら、日本でプレーできる次の機会を待ちたい。
海外に出て知見を広めた経験を若い世代にもしてほしい。そんな考えもあり、留学エージェントの仕事を本格化させていく希望もある。
しかし、自分がプレーをやり切ることが第一だ。
あらためて強くそう思うのは、ネイピア・パイレーツで初めてSOでプレーしてみて、そのポジションでもやれる手応えが芽生えたからだ。
「新鮮な感覚でした。自分に新たな可能性を感じたんです」
9月末に帰国してトレーニングを続けている。
この数か月を振り返って思うのは、ラグビー王国は、いつも自分を前向きにしてくれるということだ。今回も、27歳の自分を燃え上がらせてくれた。
その熱が、どこかのチームに届く日を待っている。