ディラン・ライリーが、ようやく本来のパフォーマンスを披露した。
現地時間9月17日、スタッド・ド・ニース。今回が初出場のワールドカップ・フランス大会のプールDの一戦にあって、日本代表の22番をつけていた。相手は前回準優勝のイングランド代表だった。
ライリーが出たのは後半10分から。WTBに入った。グラウンドに入ってまもなく、中盤左端で味方のキックを追いかけた。相手側の、エスコートと呼ばれる捕球役を保護する選手の群れをかいくぐった。球の落下地点に迫った。球を手にした選手へ刺さった。押し返した。
続く18分には、攻撃でも魅する。中盤右のラインで球をもらうと、一瞬、右へ膨らむようなコースをとり、一転、左前方へ切れ込む。防御網を破る。敵陣22メートルラインを越え、チャンスを作った。
結局は、その折に得点できなかった。12-34と敗れた。
「求めた結果ではなかった。ただ、この試合から学べたことはあった」
鮮烈な印象を残したうえで、チームの収穫と課題を語る。
「相手がしてくるキッキングゲーム、モールやスクラムをある程度は止められた。ただ、こういう試合で勝つには80分間すべきことをし続けなければいけません。そして、目の前のチャンスをものにしなければ…」
さかのぼって10日。スタジアム・ド・トゥールーズでの初戦では、アウトサイドCTBで先発していた。
しかしタックルミスで失点を招き、反則でイエローカードをもらうなど、本来の力を発揮できなかった。初体験のワールドカップは、異空間だったか。
スターターから外れて臨んだこの一戦は、リベンジの機会でもあった。
「去年の自分が一番よかった状態に戻したいと思っていました。大きなプレッシャーのかかる舞台で、強気で自分のプレーがしたい。強みを出したい。今日は幸運にも、少しはそういう部分が見せられた」
身長187センチ、体重102キロの26歳。南アフリカ生まれだ。育ったオーストラリアでラグビー選手として評価され、20歳以下オーストラリア代表に選ばれた。
来日は2017年。現所属先の埼玉パナソニックワイルドナイツの前身クラブへ、練習生として入った。もともとオーストラリア国内で評価が高く、周りにはライリーの海外流出を防ぐ動きもあったと言われる。
しかし本人は、プロ契約のチャンスが大きかった日本を選んだ。結果として新天地で頭角を現し、2021年には日本代表へ初選出。その後もオーストラリア代表から食指が伸びたとされる時期もあったが、本人は赤と白のジャージィを選んだ。
初めてオーストラリアを離れる時の思いを、こう振り返ったことがある。
「さまざまな対立する意見があったとは思いますが、最終的には自分がどうすべきかを決断する時がきたのです。日本に来る、という決断です。結果的にうまくいきました。これからも一生懸命、頑張りたいと思っています」
日本代表は、ハードワークと緻密な組織プレーの徹底を長所に強豪国へ挑む。
6月中旬からの浦安合宿では、オーストラリアのラグビーリーグ界(13人制)で知られるジョー・ドネヒュー氏を客員コーチに招いた。約1時間、休まずにおこなう格闘技風のセッションを実施。身体衝突への耐性を磨いた。
その初日、あまりの厳しさにライリーは脱水症状を起こした。
それでも這い上がり、ワールドカップの舞台までたどり着いた。
「いままで経験してきたなかで、もっともタフな合宿でした。ただ、いま思えば、それが強化に必要でした。例のセッションでは、疲れて手を膝に置いたりしたら『やり直し!』と言われていました。さまざまなメンタリティーを持っている選手同士で、互いに助け合わなければいけませんでした。疲れた時に働き続けるべきと思えた。また、強みにしていきたいタックルのテクニックを磨けたのです。その成果が(本番で)表れることを、願っています」
地元を離れ、異国のナショナルチームで過酷なトレーニングに耐え、ラグビー選手にとっての夢舞台に立っている。勝利を楽しむのがゴールだ。