桑原立(くわばら・りゅう)は高校ラグビーにおいて、対極を教えている。
U17日本代表と愛知県立の名古屋西。監督として、この国の世代トップから高校入学後に競技を始めた初心者にまで責任を持つ。
その範囲の広さは、この39歳の指導者の能力を間違いなく高めている。
「U17から帰ってきたら、選手たちの動きがスローモーションに見えるんです」
桑原は日焼けした丸い顔に笑みを浮かべる。目は一本線のように細くなる。
先月、桑原の率いるU17日本代表は和歌山であった「日・中・韓ジュニア交流競技会」で優勝した。同じU17の韓国には64−0、中国には62−12と連勝する。試合日は8月24日と27日だった。
「個人的には、ただただ安心しました。代表で初めての試合でしたし、負けちゃいけない、という思いが強かったですから」
桑原の監督就任は昨年度だが、大会はコロナのため開催されず、2泊3日の合宿のみだった。昨年9月のことである。
桑原はU17日本代表での指導を語る。
「ポッドをとばしました」
あらかじめ、グラウンドを縦に割り、選手の配置を決める戦術をとらなかった。右方向なら、順目、順目とボールをつながせた。パスの回数も決め、正面突破にこだわった。
「世界に勝つ選手を出さないといけません」
ポッドは決め事ででき上っている分、やりやすい。しかし、海外のコピーで上位にいけるのか…。桑原は日本人としての独創性を考える。俊敏さ、手先の器用さなどである。
桑原がU17日本代表を任されるきっかけになったのは、3年前の「ジャパン ラグビー コーチングアワード」である。新しいラグビー文化を全国にアピールした指導者に送られる「フロンティア賞」を初受賞する。
その前年、桑原は夏にあった「コベルコカップ 2019」で、監督として東海のU17代表を決勝リーグ進出の3チームの中に押し込んだ。近畿に14-14。引き分けながらラグビーどころの強豪に得失点差で上回った。
「ディフェンスが軸でした。反対側に相手を倒すのではなく、こかせ、と。アライビング・プレーヤーをなくすためです。サイズは近畿が上。フィジカルでは勝てません」
知恵を絞ることは慣れている。愛知には絶対的王者の中部大春日丘がいる。冬の全国大会、通称の「花園」出場は10大会連続12回。その私学には遥か及ばないまでも、挑戦権をつかむには、頭を使うしかない。
保健・体育の教員でもある桑原は千種(ちぐさ)で7年を過ごし、名古屋西では9年目を迎えた。現任校の祖は県立の第二高等女学校。創立は1915年(大正4)である。
女子校スタートのため、男子が少ない。
「全校生徒は1000人ほど。その中で男子は300人。1学年は100人。その中で1割の10人に入部してもらうのは大変です」
ここでの桑原の軸は部員集めである。
勧誘のためにミーティングまでする。
「この子はこの部と迷っている。じゃあ、この路線で誘おう、という感じです。声をかけまくり過ぎて、春は体調が悪いです」
ジョークを飛ばす監督の奮闘もあり、現在の選手数は30。経験者は5人。ラグビー部の創部は1949年(昭和24)。来年創部75周年を迎えるが、花園出場はない。
似たような状況が桑原の高校時代にもあった。競技を始めたのは、同じ県立の高蔵寺(こうぞうじ)に入学後である。
「15人いなかったはずです。僕らの入学と同時に、若い先生が来ました」
新任の杉本静哉(しずや)は熱かった。
「試合に負けたら、責任をとって、丸刈りをしてくるような先生でした」
その熱を浴びて、楕円球を手に取った。
「なんか、わちゃわちゃ楽しかった」
桑原にとって、部員集めから始まるのは普通のことだ。杉本は現在、尾北の保健・体育の教員とラグビー部顧問である。
桑原の進学先は地元の中京。杉本の母校でもある。桑原は大学選手権出場こそないものの東海リーグには2年から出場。WTBとして177センチ、77キロと恵まれた体だった。教員を志望したのも杉本の影響だった。
赴任2校目の名古屋西での指導は、初心者だった自分を振り返り、基本を丁寧に教える。
「まず姿勢の作り方を繰り返しします」
低く構え、視線を上げる。最初に恐怖や痛みをもってこない。このチームの命題はすべての部員に続けてもらうことである。
「恩師にしてもらったように、色濃いスキンシップをしたいですね。あいさつができたり、遅刻をしないことなんかも含め、ラグビーをやってよかった、と思ってもらいたい」
U17日本代表にも言及する。
「U17は、そぎ落とす。この世代で何をやるか、ということだと思います。そして、これで終りではない、ということも伝えます」
彼らの最終目的はフル代表入り。そのために、桑原は手を貸すことを惜しまない。
U17日本代表の戦いが終わったあとは、名古屋西の花園予選が始まる。1回戦は9月16日、対戦相手は春日井。瀬戸市民公園陸上競技場で午後3時にキックオフされる。
最強から普通のチームまでの指導を経て、桑原の引き出しは増えている。2023年の秋、その一端が垣間見られる。