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稀有なラグビー人生。髙田賢臣[筑波大4年/FB・WTB]

2023.09.08

この春には関東大学対抗戦のオールスターにも選出されたFB髙田賢臣。その記念ジャージーは母校の浦和高校に寄付した(撮影:高塩隆)

「自分は運が良い」

 筑波大の4年生でWTB、FBを担う髙田賢臣は、これまでの歩みをそう振り返る。
「良い時に良い場所にいました」

 花園、秩父宮、国立…。ラグビーを始めたら一度は立ちたいと憧れる舞台を数多く経験した。
「ラグビーエリート」かと言われればそうではない。この競技を始めたのは高校から。しかも、大学1年時は楕円球に触れていない。
 稀有なラグビー人生を歩んできた。

 中学時代はサッカー部だった。髙田いわく「弱小チーム」だったが、元Jリーガーだった奥山卓廊先生にプロの意識、勤勉さを学んだ。筑波一のキッカーは、ここが源だ。

 勉強は得意だった。志望校を進学校の市立浦和か県立浦和まで絞ったが、決め切れなかった。市立であれば強豪のサッカーに打ち込める、一方で県立は行事が盛んで楽しそうだった。
「志望校を書かないといけない日があり、浦和まで書いてから、あとはその場のノリで”県立”と書きました」

 通称・浦高(ウラコー)に進んでもサッカーを続けるつもりだったが、ラグビー部から熱烈な勧誘を受け入部を決意した。「キックを蹴ったら上手いじゃんとおだてられて…」と笑う。

 そのキック力は、ひたむきなディフェンスを看板にするチームにあって重宝された。「はじめはルールも分からなかったけど、キックのおかげではやめに試合に出られた。そこで成長できたと思います」

 大学やトップリーグの試合を見て学んだというわけではない。「試合の振り返りで、蹴り負けた時に何がいけなかったのかをすごく分析した」という。
「自分の考えを実現させるためのキックの種類も開発しながらやってきました。セプターだとスクリューが一番良く飛びます。それで相手を下げさせた後に、低い弾道だったり、回転をかけてタッチに出すようなキックを蹴ったり。状況に応じてこの時はどう蹴ればいいのか使い分けられるようになりました」

 浦高は部員のほとんどが高校から競技を始める。そこから這い上がって、3年時の新人戦で優勝した(43年ぶり)。全国選抜大会で経験を積み、6年ぶりに花園出場まで決めた。
 花園ではくじ運にも恵まれた。「上までいくならココしかないという山に入れました」

 初戦で玉島を破って花園初勝利を手にすると、2回戦では青森山田を僅差で下す。2回戦ではOBをはじめとする応援団のあまりの多さから、第1グラウンドに会場が移るサプライズもあった。
 そして3回戦ではのちに優勝する桐蔭学園と戦うことができたのだ。
「初戦は開幕戦だったので、3試合とも1グラです。幸運でした」

 桐蔭戦は完敗こそしたものの、後半にはモールで約40㍍押し切り、意地のトライを奪う。「ごちゃごちゃになりながら途中、自分も軸になった」のは良い思い出。「後悔なく終われた試合でした」

 大学は三宅邦隆監督と山本義明部長がともにOBだった筑波大に進学した。花園の終えたわずか2週後にセンター試験を受ける。「浪人は覚悟していた」なかでの合格だった。
「ここも本当に運良く、です」

 コロナ真っ只中に入学した。ラグビー部に所属はしていたけれど、ほとんど活動できなかった間に考える時間があった。
「高校でラグビーを悔いなくやれたこともあって、サッカーにチャレンジしたいなと。実は高校でラグビーを始める時に、ここでフィジカルをつけて大学ではサッカーをやろうという思いもあったんです」

 当時の蹴球部(サッカー部)はノリに乗っていた。髙田の高校2年時には、天皇杯でJ1のベガルタ仙台を破る快挙もあった。その時に3年生で主力だったのが、現日本代表の三笘薫だ。
「学生主体でスポンサーを募ったり、試合の分析力であったり、組織としてもレベルが高い。そこで組織のマネジメントも学びたいと思いました」

 両監督からの許可を得て、1年のシーズンが終わるまで蹴球部に加わった。一番下のチームだったけれど、「濃密な時間でした。常に慌ただしく動いていたし、半年でしたがやり切れたと思えた」という。
「スポンサーと関わると地域のつながりであったり、もっと言うと一人ひとりが人としてどうあるべきかがクラブを運営する上では重要だなと。勝つことがすべてではないんだなと。そうした学びを持ち帰れたのは大きかったです」

 ラグビー部には1年弱遅れて再入部する形にはなったが、またしてもキックに救われる。2年生(実質1年目)のシーズン終盤には、Aチームでの出番を得られた。
 3年時で正FBに。蹴球部で身につけた運動量も、活躍を後押しした。タレント揃いの筑波大BK陣にあって、その泥臭さは渋く光った。

「体の強い相手に動き勝つのが筑波の基本スタイル。派手なランはあまりできませんでしたが、サポートだったり、オプションになれたり、いろんな局面に顔を出せたと思います」

 昨季の大学選手権で東海大を破った準々決勝では、「良いランもできた」と目を細める。「高校時代はランもいけいけだったので(笑)。ようやくそれが出せました」

 その翌週には、国立競技場のピッチに立った。帝京大に完敗したが、「叩きのめしていただいた」と感謝した。そこでの体感が、いまのチームの基準になった。
「帝京のあの強度は、みんなの脳裏に焼き付いていると思います。春は(Bブロックで)優勝しましたが、強豪相手に同じことができるかと言われると、まだそのレベルには及んでいないと分かる。慢心はないです」

 今季の帝京大もここまで負け知らず。リベンジを果たすには個人個人が100㌫以上の力を発揮するかない。
「1人に対して2人、3人かけるのはしょうがない。足止めて、ボール殺す、を繰り返す。運動量で勝つしかないです。僕らの中にあるのは東海戦のイメージ。あの時は良いタックルや良いカバーを泥臭く続けられたことで士気が上がり、いつも以上のパフォーマンスが出せた」

 泥臭さは、髙田の得意分野だ。

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