ラグビーリパブリック

【コラム】ない、ない、の希望。玉川大、夏合宿で飛び級の腕試しへ

2023.08.14

部員49名を揃える玉川大。1949年創部。河合レオ(NEC/元日本代表)ら各方面で活躍するOBを輩出(撮影:BBM)

 週替わりのように各年代のチームが全国から集まる長野県・菅平高原がハイシーズンを迎えている。今週末までは高校、次は大学。選手たちだけではなく、チームを応援する保護者やファン、関係者まで年間70万人を数える人が、楕円球を追い、見つめるためにやってくるラグビーの聖地だ。

 大学選手権3連覇を狙う帝京大のようなトップチームだけではなく、さまざまなカテゴリーのチームが集まるのが興味深いところ。それぞれに秋冬のターゲットがあり、鍛錬と力試しのために山を登る。

 覚悟をもってこのメッカへ向かうチームの一つに玉川大がある。

 キャンパスは東京都町田市にあり、現在、関東大学リーグ戦4部。昨季までは3部で、2部昇格を目指して奮闘していたが、初戦のつまづきから最後は下部との入替戦へ。昇竜の勢いで勝ち続ける新潟食糧大に敗れて4部降格となった。

 今季の主将、FL田島智樹は全国優勝7度の東福岡高校出身。「こんなはずでは」ともどかしい思いを抱えながらも、現実を見据えて3部復帰へ準備を進めている。変わろうとするチームの意志の表れの一つに、7月のオールスターがあった。

 関東対抗戦選抜vsリーグ戦選抜。近い将来、日本を背負う有名選手たちが選抜チームを組んでぶつかり合うメインゲームと同じくらいに盛り上がるのが、いわゆる2部以下のリーグが選抜チームを編成する7人制試合だ。玉川大はリーグ戦BLUE(実質の4部選抜)に2名の選手を送り込んだ。BLUEは、3部選抜のREDを29-5で破る金星を挙げた。そこで茗溪学園出身の4年生浦瀬瑛紳とともに選抜ジャージーに袖を通したのが、3年・小林侑(たすく・当時2年)だった。

 短く刈り込んだ頭、細身ながら俊敏な動き。小林侑がラグビーを始めたのは大学に入ってから。高校時代は大島国際学園高校で野球部所属だった。チームではWTBを務め、「試合には、出たり出なかったり」という。主力看板選手だけでなく、これからの選手を送り込んだのにはチームの戦略があった。

 小林佑はプレー経験は浅いながらもスピードとガッツに溢れ、オールスターチームに混じっても遜色なくプレーしていた。ポテンシャルは高い。それでも、「これから」の存在には違いない。スタンドに応援に駆けつけた部員たちは有望株の一挙手一投足に沸いた。

「7人制という特殊性もあります」と玉川大の田島主将。

「そこで小林が活躍できる力があったことはもちろん、チームに今後の活力を生んでくれるんじゃないかという期待がありました」

 小林侑は、父・潤さんがラグビーマン。玉川学園中学で体育を教える父の競技には以前から興味はあった。「自分らしい道を」と選んだ全寮制の高校は、船乗りを育てる特殊な学校だった。野球部は10人で同期はゼロ。他にはない特別な3年間には満足している。大学選択の過程で再び視野に入ってきたラグビーの世界に、思い切って飛び込んだ。まだ初めて2年で歓声沸き返る秩父宮でプレーできた。3年目のシーズンを前に鼻息は荒い。

「前に進みたいのに、前に投げられない矛盾。一つのボールをほんとにみんなでトライまで持っていく。チームの中に本当のつながりがないとできない。どんなすごい選手も、一人では最後までいけない」

 ない、ない、づくしなのに顔はスマイルになる。

「秩父宮でトライ、取りたかったです」

 悔しい、でも、楽しみ。試合後もぽたぽた流れる汗が気持ちよかった。

 2週間後、小林侑の姿が玉川大の人工芝グラウンドにあった。

創設者が描いた理想の絵をもとに建設されたキャンパスは郊外の街並みの中に突然現れる(撮影:BBM)

 平日の通常練習は火水金の18時から2時間ほど。部員はマネージャー5人を含めて49人。部員には、玉川学園高校からの内部進学者は多くなく、ほとんどがラグビー経験のある外部の高校からの入学生だ。

「幸い、有名校の出身者は多いんです」と田島主将。小柄なフランカーはリーダーとして実直に部の様子を見つめている。茗溪学園、日川、仙台育英、明和県央、昌平、大分東明…。しかし高校時代の熱を下部リーグで高めるのは人が思うほど簡単ではない。

 たとえば練習の強度だ。

「これまではリアルのコンタクトをおこなうのは週に1回でした。僕自身は、毎回ぶつかり合うのが当たり前だと思っていたので、初めは驚いた。今シーズンからは2回、3回に増やすように働きかけていて」

 回数の問題ではなく、グループの習慣や習性を変えることの難しさだ。変化を嫌うのはある意味で自然なこと。ただ「それでも変えなくては」の理由が、今年の玉川にはあった。

「まず3部復帰して、後輩に部を託したい。それは4年生で一致しています」

 目の前の後輩たちと戦っているわけではなくて、変化に挑戦している。

 もう一つ、チームの話。個々ができることと、集団で遂行できることとは違う。田島主将は今年、ディフェンスをチーム強化の最初に持ってきた。この分野でも、それまでとは違うやり方を採用した。リーグ戦4部で有効な、圧力を前面に押し出すディフェンス。個々には高校までさんざん取り組んできたことでも、チームでやり切るのは難しい。微妙なずれ、間合いの違い。新しい玉川のディフェンスの完成へは、今まで、ではなく、今がすべてだ。ここでやるべきことをやらなければ、チームには何も生まれない。

「だから、大学でも基礎からやる。これは体に染み込ませるしかないので」(田島主将)

 リーグ戦開幕まではあと1か月のタイミング。4年生を中心に話し合い、菅平での夏合宿に、一つの試金石を用意した。8月19日に、東農大とのマッチメークを試みた。

 東農大はリーグ戦3部で、今年リーグでの対戦はない相手だ。

「昨年まで、3部でライバルと考えてきたチームでした。僕らとしては基準をそこに置き続けて、夏までを過ごしたかった。強い相手です。スタンドオフに『コウキチ』と呼ばれている上手い選手がいます。その名前は僕らもみんなで覚えていて。彼を自由にさせないことがキーになる」

 3部、2部への意識を保つこと、それまでの成果を「格上」のライバルを向こうにぶつけること。東農大戦はシーズン前のビッグマッチだ。試合の勝敗はもちろん、そこに試合を据えたことに意味があった。

 4年生が次の代に何かを残すために、いろいろな種を蒔いてここまで進んできた。学園の森の蝉が鳴き切ると、勝負はすぐそこだ。昨年、初戦で敗れたことから始まった苦い経験を生かす意味でも、今年は開幕から全開で臨みたい。

 小学校3年生の時、福岡のかしいヤングラガーズで始めたラグビーも、田島主将にとって、何かをかけてフィールドに立つのはこの秋冬が最後になる。部員それぞれに個性も事情も色々あるのは、もう大人だからわかる。それでも今、チームで何かを残したい。この夏に次はない。

 それは本当のつながりがないとできない。このフィールドでは、どんな個性も、一人では何も成し遂げられない。

 ない、ないに希望を詰め込んだ言葉は、まだ楕円球歴2年ちょっとの後輩が、秩父宮で言っていたことだ。

 8月19日14時キックオフ、19番グラウンド。菅平の強い日差しの中で玉川大のシーズンが始まる。

ラグビー歴はまだ浅いが、人生歴はたくましく鮮やか。部の期待を担って7月のオールスターに出場した3年生WTB小林侑(撮影:BBM)

*試合予定は変更になる場合があります