ラグビーリパブリック

【コラム】いま、試されている人。

2023.08.11

2015年の南ア戦では、後半17分に登場。続くの4戦はすべて先発。プロップの稲垣は当時25歳(写真は8月5日のフィジー戦/撮影・髙塩 隆)

 果たしてチーム作りは間に合うのか。船は正しい方向に向かっているのか。

 7月に始まった国内での連戦、特に最後のフィジー戦の完敗で、私の日本代表への疑念は大きくなった。

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 しかし、稲垣啓太は揺らいでいなかった。

 試合後のミックスゾーン。報道陣に囲まれた背番号1に、私は問いかけた。

 「2015年、19年のW杯前も多くの逆境はあった。それを乗り越えてきた人間として、今の代表チームにできること、還元するものは何なのか」
 稲垣は一拍おいて、いつものようによどみなかった。

「苦しい状況になると、色々なところに手をつけ始めるんですよ。あれができていない、あれもしなきゃ、準備もしなきゃ、って」

「でも、僕はラグビーってシンプルなものだと思っているし、チームが進むべき方向もまたシンプルだと思っています。改善すべき点って、そんなに多く手をつけなくても、一番大事なことをしっかり直せば、チームはまっすぐ進んでいける」

 セットプレーやフェーズアタックの精度、ディフェンスの整備に規律の改善……。国内5連戦を終えた日本代表の現状を見れば、課題は山積だ。けが人も多い。稲垣は「(W杯までの短い期間で完成度を)伸ばさなければ先がない」とも話している。

 だからといって稲垣は、その一つ一つに振り回されるのではなく、「一番大事」な何かを見つけて、そこを改めればいいと感じている。やるべきことを絞りきる。それが、W杯で多くの勝利をつかみ取ってきたプロップの肌感覚だ。

 過去2大会の日本代表は、いい意味で周囲の期待を裏切ってきた。

 2015年。本番前のジョージア代表との強化試合は13—10の辛勝だった。W杯初戦で南アフリカに勝てるチームとは思えなかった。でも、彼らはその前の秋にジョージアに惨敗したスクラムの成長に大きな自信を持った。2週間後、ブライトンで世界を驚かせる痛快な金星をあげた。

 2019年。本番前の南アに7—41で完敗した。エースの福岡堅樹がけがをした。W杯初戦のロシア戦もぎこちなかった。当時世界ランク2位のアイルランドに勝てるとは思えなかった。でも、彼らは自分たちがやってきたプロセスを信じた。静岡で再び、堂々と下克上を起こした。

 アイルランド戦の朝、ジェイミー・ジョセフHCが選手たちに送った詩を、田村優が試合後に明かした。

「誰も我々が勝てるとは思っていない。
 誰も接戦になるとすら思っていない。
 どれだけハードワークをしてきたかも知らない。
 どれだけの犠牲を払ってきたのかも知らない。
 君たちは、自分たちが準備ができているのをわかっている。
 私も、君たちが準備できているのを知っている」

 あの劇的の勝利の後で、この言葉を聞いた時、私は自分の凝り固まった考えを恥じた。それなりに長くラグビーを取材してきたはずなのに、彼らの反骨心を、結束力をまるで理解できていなかった。本番前の強化試合はあてにならないのだ、と思い知った。

「信じる」という言葉は時に上滑りする。

 

 でも、彼らはそれを形にしてきた。本番で具現化してきた。今の日本代表には、少なくともあの成功体験が染みこんだ選手たちがいる。

「信は力なり」は、京都工学院高(旧・伏見工業高)ラグビー部の精神性を表す格言である。

 5月、同校総監督の山口良治さんの話を聞く機会があった。泣き虫先生は何十年も前の出来事をつい先週に起きたかのように話してくれた。

 まだ若かった山口さんは、やんちゃな部員たちと交換日記をしていた。

 間違いだらけの漢字を正しながら、先生は授業の休み時間も、夜中の布団の上でも、何十冊もの日記に返事を書いていたという。

 一人一人を見ていることを、彼らに実感して欲しかった。その一心だった。「そのまま眠ってしまって、日記によだれがついたこともあった」と笑っていた。

 信じる、とはそうやって誰かが情熱を注ぎ続けた時間の積み重ねなのだと思った。

 コーチを、仲間たちを信じる文化が、今の日本代表にはあるはずだ。互いを信じるに足る努力を紡ぎ続けた時間があるはずだ。
それが稲垣だけのものか、W杯経験者にとどまるのか、スコッド全体に広がっているかは分からない。

 不安要素の一つに、まだキャプテンが決まっていないことがある。浦安合宿の終了時、藤井雄一郎・ナショナルチームディレクターは強化試合を重ねる中で「発表できるタイミングで発表する」と話していたが、その強化試合も国内は終わってしまった。これは想定内なのか、首脳陣の迷いの表れなのか。

 この国内5連戦で使われていない選手がいる。たとえばSH福田健太。リーグワンでの強気な姿勢を買われて招集されたのに、一度も試さなかった。イタリア戦で使うのか。第3のSHとして緊急事態のみの起用なのか。試合の鍵を握るハーフ団の一人なのだ。ここも首脳陣の意図が読めない。

 分かっていることはある。フランスの地で、過去2大会のようなジャパンを見せるためには、不遇にいる選手も含めて、彼らが「信」を力に変えなければならないということだ。時間は限られている。やるべきことを割り切れる、と捉えるのは前向きすぎるだろうか。