7月30日、「大西健先生 退官記念祝賀会」が京都市内のホテルであった。
大西は京都産業大のラグビー部を監督として全国屈指の強豪に育て上げた。その指導は47年の長きに渡った。体育学の教授としての退官は3年前の2020年3月。同時にラグビー部では監督から相談役に退いた。
この会は2年前の夏ごろに予定されていたが、コロナの影響で延期されていた。
乾ききったアスファルトから白くかげろうが上がる中、出席者は500人近くにのぼった。主役の大西は紺地に細い朱が入ったチームタイ、エンブレム付きの紺のブレザーを着ていた。服装は試合日と変わらない。
日本ラグビー協会の名誉総裁である彬子女王があいさつをされた。お名前は「あきこ」。女王は京産大の教授でもあり、部にとっては二重のご縁がある。
「京都にはもう7、8年おります。立場的には公平でないといけませんが、心の中で応援しております」
その練習を視察されたことも明かされた。
「認識はしてもらえたと思うので、カップを渡す時、涙を流しても、なんなんだこの人は、ということにならないと思います」
部の悲願である大学選手権の優勝をユーモアで包み込み、激励をされる。
その他の出席者は岩出雅之(帝京大)、神鳥裕之(明大)、小松節夫(天理大)、木村季由(東海大)ら大学の指導者を中心に、黒坂光学長やテストマッチトライ記録69を持つOBの大畑大介、元日本代表で同志社OBの大西将太郎らだった。
大西は1950年(昭和25)生まれ。73歳になった。京産大の教員とラグビー部監督になったのは1973年。天理大を卒業してからである。京産大の開学とラグビー部創部は8年前。まだ若い大学だった。
大西は天理大のランニング・ラグビーにスクラム強化を掛け合わせる。特に前8人の強化は3時間以上の日もざらだった。その甲斐あって、関西リーグ制覇は1990年を皮切りに4回。大学選手権の4強入りは1983年度を最初に7回を数えた。
2021年度より監督を引き継いだ教え子の廣瀬佳司によって、関西制覇と選手権4強入りは2回ずつ積み増されている。
会の最後、大西は壇上でその活動を裏から支えた夫人の迪子(みちこ)に「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。そして続けた。
「伝統というものは一代でできるものではありません。慶應、早稲田、明治、同志社などを見ても、偉人がいるにしても、続いて頑張った、次につなぐ人たちがたくさんいます。廣瀬、元木、頑張ってね」
廣瀬とGMの元木由記雄を励ました。夕刻から3時間を予定したパーティーは、4時間近くかかった。それはまた、大西その人の人望を表していた。
大西はこれからも相談役として、チームの日本一実現に向けて、サポートを続けてゆく。