24年前のサモア戦を覚えている。
その日、花園ラグビー場の入り口付近に立っていると、サモア代表がバスで到着した。
周辺にも人はいたのだが、何人もの選手たちが私だけに挨拶をする。きっと、サモアの人と思われたのだろう。そういうことは、その後も何回かあった。
1999年5月22日だった。
当時おこなわれていたパシフィック・リム選手権のサモア戦で、日本代表は37-34と勝利を手にした。
終盤まで30-34とリードを許していたサクラのジャージーは、試合終了間際に逆転トライを挙げて勝利を手にした(37-34)。
インゴールにボールを置いたのはNO8ジェイミー・ジョセフ。現在、日本代表を率いるヘッドコーチである。
先発メンバーの1番には長谷川慎。こちらは現在の日本代表アシスタントコーチで、日本のスクラムを作り上げている人だ。
日本代表はその年のパシフィック・リム選手権で、サモアをはじめ、カナダ、トンガ、アメリカに勝って4勝1敗(フィジーには9-16で敗れる)。見事、優勝を手にした。
ただ同年の秋、ウエールズをホスト国に開催されたワールドカップで日本代表は3戦全敗。プールステージでの敗退となった。
約4か月前に勝ったサモアに9-43と完敗し、前年の来日時に44-29と勝利したアルゼンチンにも12-33と敗れた。
初夏に得た自信を携えて向かったW杯での全敗から約四半世紀。
当時の主力選手たちが指導陣となった日本代表がいま、大舞台を前にもがいている。
オールブラックスXVとの2戦に連敗し(6-38、27-41)、サモア(22-24)にも敗れてここまで3戦全敗。祭典の開幕まで50日を切った中で、勝つことによる自信を手にできていない。
今週末(7月29日)には花園ラグビー場でトンガと戦う。
浦安合宿でチームの土台を大きくした日本代表は、国内でのW杯ウォームアップゲーム5試合が始まった7月には、強化拠点を宮崎に移した。同地で鍛え、試合のたびに開催地へ向かうサイクルで動いている。
7月26日には、合宿の模様が報道陣に公開された。
室内練習場でFWがラインアウトを繰り返していた。
周囲を覆うネットにいくつものバナー(幕)があった。チームが大事にしているワードが記されているものだ。
『挑戦』、『一貫性』、『責任』。
『導く』、『絆』の他にもいろいろある。
『磁石』もあった。
練習後、報道陣に囲まれた稲垣啓太がそれらの言葉について、「自分たちが立ち返る場所を短い言葉で表しています」と説明した。
「磁石は、常に横とのコネクションを持ち続ける、ということです」
すでに2度のW杯を経験している33歳は、いつも的確、正直で、前を向いている。
チームの現状を、「結果が出ていない。選手にとっても、スタッフにとっても、チーム全体にとっても、悔しい現状ですが、落ち込んでいる時間はありません。前に進むしかない。強い意志で練習に取り組んでいます」と話した。
悲観はしていないけれど、チームが勝利に届かない事実がある。
稲垣は、ミスが続くと消極的になりがちも、それではいけないと警鐘を鳴らす。
例えばタックル。
前に出ず、向かってくる相手だけを捕まえるならスタッツにはいい数値が出る。しかし、それでは意味がない。
「そんな小さな成功は求めていません。成功するかミスとなるかの、ギリギリのところを狙わないといけない。チーム全員、リスクをとらないと勝てないのは分かっています」
「結果を残せていないので説得力はないかもしれませんが」と前置きして、「結果が出てないことは分かっていますが、自分たちのやるべきことは明確」と言う。
大切なことは、信じ切ることだ。首脳陣、仲間を信頼し、自分の力を信じる。
自分たちのやりたいことに自信を持ち、100パーセントやり切れば勝てるのだ。
それを実現できていないのは自分たち選手の責任。ベクトルを己に向けて、「前へ進み続けないといけない」。
「これからまだ伸びる。2015年も2019年も、チームは最後の2、3か月でいっきに成長しました。その上げ幅、伸び幅を、どれだけ大きくできるか。それを自分たちで作ることが大事だと思います」
急激な進化を実現するため、いちばんのトリガーとなるのは勝利だろう。トンガ戦で、その瞬間は訪れるだろうか。
ワールドクラスの左プロップは、哲学者のように、淡々と話を続けた。
「ここ(大舞台直前)までくると、これまでのパフォーマンスを同じように出せる選手はいません。プレッシャーに萎縮して下がるか、プレッシャーすら受け入れ、飲み込んで、さらに上に行くかのどちらか。2015年、2019年は上がる選手が多かった。いまも、ひとつのきっかけで上がっていける雰囲気はあります」
室内練習場に掲げてあった言葉のひとつを例に、稲垣は言った。
「『CAGE』(ケージ)というものがあったでしょう。格闘技などで使われる檻。あれです。あそこに入ったらみんな丸裸。嘘も何もつけない。覚悟を決めて入るしかない。僕らもいま、そういう気持ちでやっています」
逃げも隠れもせず、現状を受け入れて大舞台への準備を進める。
伝わってくるのは、やれることをやり切って世界との戦いに挑むマインドのみ。
経験豊富な男は肝がすわっている。
1999年の花園でのサモア戦の夜は楽しかった。
勝利の余韻。居酒屋に繰り出した。中学を卒業したらニュージーランドに留学すると決めていたダイスケもいた。
知人の計らいで、その日、日本代表のSHとして活躍したグレアム・バショップが宴席に加わってくれた。
ダイスケといろんな話をしていた。牧歌的な時代のラグビーの光景が、そこにはあった。
当時の選手たちも必死で準備を重ね、力をつけてサモアに勝ち、W杯へ向かった。
しかし、勝てなかった。
世界で勝つ文化が、日本にはまだまだ足りなかった。
しかし、いまの日本代表には成功体験がある。
国内シーンのレベルは格段に高まった。その中から選ばれた精鋭たちが、さらに猛練習で鍛えられ、絆を強くしてW杯へ向かう。
そんな過程を歩み、栄光をつかんだことがある者たちは、その知見を、世界で勝つことの難しさとともに若手に伝えている。
日本に限らず、世界中の多くの選手やコーチの口から聞いてきた言葉がある。
W杯で起こることと、それまでのことは関係ない。
だから過去には、ワールドランキングとは関係ない結果となる試合が、世界中の人々が見つめる舞台でたくさんあった。
ただそれを起こすには、チームが鍛え上げられていることが条件だ。
赤白ジャージーを着た男たちは、その資格を持っている。
W杯という巨大な檻の中で、2023年のジャパンは輝けるか。
スイッチがオンになれば、強い光を放つことができるエナジーを溜め込んでいるのは確かだ。