Teaching is Learning.
<教えることは学ぶこと>
その格言を谷口宜顕(よしあき)は教育実習で身を持って知る。東海大ではラグビー部190人をまとめ上げる4年生主将である。
「楽しかったです」
教育実習の期間は5月29日〜6月17日。3週間を母校の東海大仰星で過ごした。大学のある神奈川から実家のある大阪に戻る。谷口は体育学部生のため、中学生には実技、高校生には保健の授業を教えた。
教育実習は教員免許取得のためには必須。大変なのは、「指導案」の作成である。
「誰がそれを見ても、指導できるように書き上げないといけません」
文案と同時に勉強も外せない。実技は専門外のソフトボールと陸上のハードルだった。
その指導案を叩き台にしても、生徒それぞれの中に落ちてゆかないこともある。
「伝える、と、伝わる、の違いです」
高校時代、ラグビー部監督の湯浅大智の言葉が卒業をしてから眼前に迫る。
教育現場では「伝わる」がマスト。感じ取ってもらわないといけない。
「伝える、だけなら、生徒はみんな動作が違います」
人は千差万別。指導の出発点はそこになる。
谷口の指導教員は大学ラグビー部で12歳上にあたる能坂尚生(のうさか・なおき)だった。主は中等部のコーチである。
能坂は後輩の教育実習を総括する。
「真面目に取り組んでいましたが、できない経験が少ないだけに、苦労していました」
谷口は高1でFBとして仰星のレギュラーになる。その全国大会で優勝する。「できる」選手だった。
97回大会(2017年度)では全5試合に先発した。決勝は大阪桐蔭に27−20。主将は先ごろ、初の日本代表入りをしたCTBの長田智希(埼玉WK)だった。
「谷口が実習に入った頃、説明はざっくりとした感じでした。それでは、できない子もいます。その状況を認識して、体のパーツを細分化して、動きを説明。頭の中に映像がない子にも伝わるようにしました」
能坂はその努力を口にした。谷口は自分の目線を落としていく。
「ハードルではスピード感やジャンプをする力などが最初と全然違いました」
教員の卵としての達成感を得る。
谷口を高1から抜擢した理由を湯浅は話す。
「一番はディフェンスですよね」
湯浅が掲げる今のチーム・テーマを当時から実践していた。
<理詰めでディフェンス、理屈抜きでタックル>
現在のサイズは172センチ、80キロだが、当時もそう変わらない。
湯浅は谷口が小5の時の思い出も語る。
「仰星のグラウンドに来て、試合をした時に、ライン裏にチップキックをしました」
そんな子供は珍しかった。目の前の絵を平面だけでなく、立体で捉えられた。それが守備にもつながる。穴の空く場所を埋める。
その能力は天性か? 湯浅は答える。
「いや、家庭環境だと思います」
両親が疑問形を使い、ベストの選択を小さい頃から考えさせる。その思考を繰り返す中で、違和感に敏感になってくる。
父・雅俊の影響で谷口は競技を始めた。父の出身高校は茨田(まった)。府立校として3回の全国大会出場がある。父は高槻ラグビースクールの指導員でもあった。谷口は3歳から連れて行かれた。
「最初はめちゃくちゃ嫌でした。日曜の朝は戦隊もののテレビ番組とかぶりました」
それでも、体を動かすことは好きだった。長じるにつれ楕円球に魅せられる。
仰星の中等部に進んだのは、スクールの2つ上だった前田翔が通っていたこともある。
「いいよ、って言われました」
前田は谷口と同じ球歴で、昨年4月、卒業と同時にPRとして神戸Sに進んでいる。
高1でのレギュラー奪取は「仰星4年目」ということもある。仰星の中高は基本、一緒に練習をする。そのシンキング・ラグビーは谷口にとっては当たり前だった。
高3ではリーダー3人のうちのひとりに選ばれた。全国大会は8強敗退。準優勝する御所実に0−14。99回大会だった。大会後、高校日本代表にも選ばれる。大学でも1年生からレギュラー。FBを軸にCTB、WTBもこなした。器用さもある。
今回大阪に戻る前、谷口はチームへの不安を感じていた。メンバーの不在である。教育実習は他の4年生にもやって来る。
「でも、チームが成長できるチャンスをもらったかな、と考えるようにしました」
谷口の不在中、チームは天理と大学選手権連覇中の帝京に連敗した。スコアは20−48、5−64だった。
連敗の中、谷口は成長する。伝える、と、伝わる、の違いを完全に理解する。
「190人にわかってもらわないといけない僕にとって、財産になりました」
不在はチームのためのみならず、また自分自身のためでもあった。
勝負は秋以降だ。東海大はリーグ戦記録となる6連覇、そして60回目となる大学選手権において初優勝に挑む。これまで、3回の準優勝があるのみだ。
谷口は教えて、学んだことをチームに落とし込む。それは栄冠への道を歩む上で、なくてはならないものである。