3年ぶりに再開された、海外遠征を楽しんだ。
同志社大の2年生でHOの長島幸汰は、4月末から約2週間、サモアに渡った。
パシフィックチャレンジにジュニア・ジャパンとして参加し、3試合中2試合にHOで先発。チームは1勝2敗だった。
「この遠征ではコミュニケーションにこだわってきました」
遠征前からミニチームを作り、スタッフ陣は結束を強めるためのチームアクティビティを数多く用意した。
4つミニチームの名前は「うつけ」、「楽市楽座」、「安土」、「ロブナガ」。ロブ・ペニーHCがチームのポリシーとして掲げる、容赦ない精神を持った”織田信長”に関連した言葉を選んだり、もじったりした。
遠征最終日にはジャンクフードが解禁された。チームアクティビティで順位をつけ、上位から行きたいレストランを決めた。1位は長島のいた「うつけ」だった。
「そこで食べたハンバーガーはめちゃくちゃ美味かったです」
コロナ禍にあって、この世代は初めての海外遠征だった。慣れない海外での生活を、長島は楽しめた。
仲間の多くが現地の食事が合わず、持参した焼肉のタレを使ったり、プロテインを多めに飲んで体重維持を試みる中で、長島は「あえて何も持ってきいませんでした」。
「現地の人間になろうと。それしか食べるものなければ、美味しいと感じると思って」
グラウンドに入っても、泰然とした。持ち場のスクラムでは、異なる言語を用いるレフリーとのコミュニケーションをそつなくこなした。
「英語が話せるわけではないですが、ラグビーは普段使う言葉も英語が多いので。身振り手振りと簡単なワードで意思疎通できたと思います」
5月27日に秩父宮で戦ったニュージーランド学生相手でも、その姿勢は変わらなかった。
スクラムでは日本のパックが合計830㌔に対し、向こうは904㌔と、成人男性1人分の差があったが、「自分は体が大きい方(175㌢、102㌔)ではないので、相手がでかいのは当たり前でいつも通りですから」と笑って答えた。
戦前には「低さにフォーカスできれば、戦えない相手ではない。重くてもパワーロスは必ず生まれる」と語っていた。その通りになった。
前半からたびたびペナルティを誘う。長島がベンチに下がっていた後半30分には、ゴール前のスクラムでペナルティトライを奪った。
「チームとしてはこのトライで勝利に近づけたので良かったと思います。ただ、自分でもスコアまで繋げたかった。嬉しさと悔しさ、半々です」
京都成章入学当初はバックローだった。1年の終わりに、ケガ等で手薄になったHOに転向。2年時の秋からレギュラーを掴んだが、「運もあった」と謙遜する。
「高校では180㌢超えがゴロゴロいて、バックローでは厳しいかなと思うこともあった。高校の時は自信がなかったですね」
関東対抗戦やリーグ戦に壁を感じてしまったのも、同志社大に進んだ理由のひとつだった。ジュニア・ジャパンに選ばれてもなお、「はじめは緊張や不安の方が大きかった」という。
「自分がこのジャージーに袖を通す人間と思ってプレーしてきたわけではなかったので。でもいざ(サモアで)試合をすると、この場に立てていることが誇らしいと思えました。そこから自覚や責任感が芽生えてきて。いまは自信を持ってできていると思います」
仲間の存在も心強かった。遠征には京都成章で同期のSO大島泰真(同志社大)、FL小林典大(関西学院大)が参加していた。
「同じ高校から何人も集まれたのは嬉しいです。やってきたことが間違っていなかったと思えているし、自信になります」
ちなみに西陵中まで遡れば、御池蓮二(立命館大)や土永旭(京産大)もいた。
2月から始まったU20日本代表のセレクション合宿は、6月10日に全日程を終えた。
HOで合宿に参加しているのは大本峻士(立命館大)と2人だけだから、選ばれるのは当確だろう。
「最終的に(メンバーに)残れるかは、チームに良い影響を与えられるかどうかだと思います。プレーというより、人間的なところで引っ張っていけるような行動を常にしていきたいです」
U20チャンピオンシップは6月24日に始まる。サクラのジャージーを着て得た自信を、南アフリカの地でもぶつけたい。