3年前の2020年春に言っていた。
現在、横浜キヤノンイーグルスの広報を務める小林健太郎さんは、自身の引退インタビューのときに、こう話した。
函館ラ・サール高校、同志社大学でプレーし、当時トップリーグの中位にいたイーグルスへ。
小林さんは3シーズン在籍し、公式戦はカップ戦1試合に途中出場したのみ。それが、トップリーガーとして残した足跡のすべてだった。
ブーツを脱ぐと決断した際に話した。
自分のことを「試合からいちばん遠くにいた存在」と表現した。
そして、「そういう選手が、いちばん勝ちたいと思っているチームって、強いですよね」と続けた。
小林さんは、試合から遠いところにいた人間としてやれることがあると思っていると話し、広報に就いた。
名称がトップリーグからリーグワンに変わって2季目の2022-23シーズン。イーグルスは部史上最高位の3位となった。
小林さんの言っていた強いチームの条件が、揃ってきたからこその好成績だった。
躍進を支えた『ライザーズ』の存在がクローズアップされた。
試合への準備の中でAチームの模擬対戦相手となって圧力をかける。イーグルスのレベルアップに貢献する控え選手たちで構成されるチームのことだ。
その集団が、チームが上昇するエナジーを生み出す光景を小林さんはどんな思いで見つめていただろう。
BKの控え選手、山本雄貴に自身を重ねたかもしれない。
山本も同志社大学からイーグルスにやって来た。小林さんが現役ラストシーズンを終えた後、チームに加わった。
その存在が小林広報と重なるのは、この春に話を聞いた時、こう言ったからだ。
「言葉はよくないですが」と前置きした後、山本は自分のことを「底辺にいた」と言った。
入団1年目を、「(あの頃の自分は)監督に対して、何も表現できていませんでした。だから、何も認められていませんでした」と回想する。
そんな山本が、チームの空気を変えるきっかけを作った。
沢木敬介監督就任1年目。シーズン序盤に負けが込んだチームには沈んだ空気が漂っていた。
そんなとき、底辺にいると自覚する新人が立ち上がった。
負けてはいても、いいプレーはあるのに。見事なトライも。
それなのに、みんな喜ばない。どこか、湧き上がるものを抑え込んでいるように見えた。
そんな空気を感じて黙っていられなくなった。
存在を認められていない中で、前に出てものを言う。
簡単なことではないだろう。
しかし、「どんな時も『勝ち顔』でいよう。下を向かないでいたら、きっと次につながるから」と呼びかけた山本のスピーチに選手たちは拍手をおくった。
話し終えた瞬間、山本の目には仲間たちがスタンディングオベーションで同意してくれる光景が映った。
ライザーズがただの控えチームでなく、エナジーの発信源となっていく一歩目だった。
山本が伝えたかったのは、自分の思いにフタをするのはやめよう、ということだ。
「みんな熱いものを持っている。でも、その熱さを出すのは恥ずかしい、という風潮をチームに感じていました。自分が情熱的に話せば、みんなも出していいんだ、と思う。そのきっかけになれば、と思いました」
ラグビーはいくつになっても熱くないとできない。
山本はそう信じている。
誠実な人間だ。自分の言葉で胸の内を吐露する。
試合に出られなくてもイーグルスの勝利を心の底から喜べるのは、チームに関わっていると思えているからだという。
「実際の試合のプレーではなくても、自分が必要とされていると感じられているから、チームの勝利を心底喜べる。なんで評価されないんだよ。なぜここにいるんだ? と自分しか見ていないときは、そんな気持ちになれていませんでした」
聖人君子でも、お人好しでもない。
監督にスピーチする時間を求めた時の心境を、「衝動を抑えられなかった」と言う。
「思いを伝えたいという気持ちと、見とけよ、俺、こんなことできんやぞ、という思いがあった」
プレーヤーとしてのプライドを忘れたことはない。
4月9日、柏の葉公園総合競技場でおこなわれたNECグリーンロケッツ東葛戦で、CTB田畑凌が入団4季目にして初のリーグ戦出場を果たした。
その時、スタンドの一角を占めていたライザーズの選手たちは沸いた。
山本もその中にいた。
「田畑さんのことは、すごく嬉しかった。(あのシーンは)本当にかっこよかった。俺も誰かにかっこいいと思われる存在になりたいな。シンプルにそう思いました」
自分も含め、選手席に座っていた者たちは全員、そんな思いを胸に秘めていたと思う、という。
本人が努力して掴んだものと知っている。
でも、それでも、羨ましいという感情はある。
しかし誰も、そんなことを口に出して言うことはない。
ただ、一人ひとりの本当の気持ちなんて分かりっこないのに、お互いを分かろうとする集団になった。
だから一体感がある。
長いシーズン。次戦のメンバー発表があると、その週のAチームとライザーズができる。
口では、「自分に与えられた役目、できることに全力を尽くす」とは言っても、毎回同じテンションを維持するのは難しい。
山本は、本音でそう話す。
「それではいけないとは思いながらも、やはり気持ちが沈むとき、のれないときはあります。でもそんなとき、ライザーズの人たちの姿を見ていると、自分もやんなきゃ、と思う。そういう意味で、ライザーズはひとつのチームだと思っています」
ラグビーは人間味のあるスポーツだ。だから、気持ちがパフォーマンスに直結する。
「ミーティングの時、誰かが自分の思っていたことを発言してくれたりすると、すごく力が湧き出るんですよ」
イーグルスでは、そんなことが多くなっていた。
目に見えない力を得て、チームは飛躍した。
山本はこの春、現役プレーヤーとしての生活を終えた。3シーズン、公式戦のピッチに一度も立つことはなかった。
しかし多くの試合で、バックアップメンバーとして試合前練習時に芝の上にいた。
沢木監督をはじめとした首脳陣は、その男の持つ見えない力を信じていたのだろう。
『輝き求め暮らしてきた そんな想いが いつだって 俺たちの宝物』
チームのホームページに掲載された本人の引退メッセージには、お気に入りの歌の一節が引用されていた。