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【コラム】 蹴るSO、自ら走る先生に。急成長高校チームの指揮官は「一人」を見つめる

2023.06.05

ブレイクダウンは今年の重点課題(撮影:SEIKO KANASHIRO)

 4月、新学期の1年生クラスで配布されたプリントには、初々しいフレーズが躍っていた。

 入学おめでとう。それぞれの目標に向けKick Off !

 32名の新入生のみなさん、ようこそ、本庄第一高等学校1年5組 新井組へ!

 この1年間、それぞれの目標に向け、努力し続け、それをみんなで応援できることを願っています。

 担任としての目標−one for all, all for one 〜ひとりはみんなのために みんなはひとりのために〜

 プリントを手渡したのは新井昭夫先生。クラス担任を持つのは7年ぶりだという。新井先生は公立の教員から私立に移って3年目、保健体育を教える傍らラグビー部の監督も務める。

 現3年生の代の新人戦で、新井先生率いる本庄第一は埼玉県ベスト4に入った。同校史上最高位の戦績だ。

「本当は、新人戦の段階で決勝まで行っておきたかった。決勝を経験して春に向かいたかった…」

 4月終わりの関東大会予選では、準々決勝でまさかの2点差敗退。対戦した慶應志木は強かった。県4強が進む関東大会出場への道は絶たれた。力を出し切れなかった悔いが残る。

 2021年の春、赴任前には練り上げてあった花園出場への成長プランは、3年目にして少しだけ予定外のプロセスを踏んでいる。それでも、ここまでの道のりは快進撃。周囲に研究される存在になった。踏ん張りどころ。指揮官は「開き直って、やれることをやるしかない」と前を向いている。

 部員は中学生4名を含む51名。女子マネージャー3人と女子選手1人を含む。選手たちの様子はラグビーマガジン6月号に詳しいが、所属するマネージャーたちが欠かせない役割を負っているところにも本庄第一らしさが表れる。

1972年生まれ。元 三洋電機(現・埼玉パナソニック)選手。息子の新井翼選手は埼玉パナソニックに所属する(撮影:SEIKO KANASHIRO)

 夜7時には出発する通学バスの都合もあって、練習は短時間に濃縮されている。ルーティーンのドリルは多くが「長くて7-8分、短いと3-4分」(杉田主将)。メニューはテンポよく回転し、コンタクトパッドやマーカーなど練習道具は次のドリルのために、先に先にセットしておきたい。

 マネージャーたち3人のうち2人は、活動時間の前半はグラウンドを動き回って次の練習のセッティングをサポートする。後半は、3人で混ぜご飯やおにぎり、プロテインの準備。練習後の選手たちの補食は強くなるための重要なポイントだ。

 高速回転のメニューをかたち作っているのは、部員、特に上級生たちの練習への理解が第一。そして、昨年度からコーチに就いた菊地克将(かつのり)コーチの存在が大きい。社会科教諭。以前は同じ県内で活動する立正大で指導にあたっていた。新井先生の導きでこの学校に正規採用となり、エネルギッシュに練習をリードする。

 部員は、今は1学年20人までと決めている。強くなっても、選手が飼い殺しのような状態になることを万が一にも避けるためだ。

 人の数は、指導者の思いの数です。

 新井先生は自らを鞭打つように言う。中心選手やリーダーたち、今は必死にもがいている子も。しっかり卒業まで見たい。野放図に人を増やして強くなっても、それは続かないし、目指すチームの姿とは違うものになってしまう。

「と言っても、どの学年もまだ、そこまで人が集まってないんだけど」と笑う。

 推薦入学でない一般生徒が入部を望んだら? と聞くと「それは考えないといけないでしょう。せっかく高校でラグビーをやりたい、という子がいるなら」

 ちっとも矛盾していない。教職の底にある、一人ひとりを大切にとの思いから離れない。そのために、導く側の資質や環境を着実に高めている。

 新井昭夫といえばキックだ。世代トップの選手だった。

 高校、大学、社会人まで活躍した気鋭のスタンドオフ。熊谷工業時代は花園で優勝、正確なキックが屈強なFWを前に押し出し、その圧力でBKを自在に走らせた。高校日本代表の看板を引っ提げ進んだ日体大では1年時から先発。秩父宮ラグビー場だろうが、相手がどんなジャージーを着ていようが放つ風格。次代の日本代表として候補合宿にも招集された。卒業後は社会人強豪の三洋電機(現・埼玉ワイルドナイツ)へ。

 華やかなイメージの裏で、大学以降は試練の連続だった。才能や実績のある仲間や先輩に囲まれても頂点に届かなかった大学時代。17時まではデスクに向かってからグラウンドに立った社会人ラグビーは過渡期にあった。契約選手の存在もあり、出番に恵まれた時間だけではなかった。会社の人員削減には上役側で直面し、人のつながりの大切さを反対の面から思い知らされた。会社と選手生活から離れ、一転、志した教職に就くまでは、ことごとく周囲に助けられた。覚悟を決めて机にかじりつき免許取得(集中力と勝負強さを発揮!)。

 臨時採用1年、晴れて先生になってからはラグビーの盛んな県北地区で深谷中に5年、寄居中で8年。中途では合同チームでも踏ん張った。母校の熊谷工業の指揮をいつか、の夢があった。願い叶わず、新しいチャレンジに切り替えたのが、私学に移った2年ほど前だ。50歳を目前にした挑戦だった。

「自分よりも、嫁さんが大変だったと思う」

 歳を重ねつつ、目標への絵をイメージして邁進するのは変わらない。むしろ、今が力強い。

 キックやパスで他を走らせる選手から、生徒とともに自ら走る人になった。

 本庄第一の1年目、推薦入学で新人10人が入学した部に、たった1人の3年生選手がいた(もう一人、女子マネージャーも)。島田君といった。下級生たちとの実力差に慮ってか、春、早々に退部届を持ってきた。が、新任の新井昭夫は監督でなく先生だった。

 これも縁だよ。せっかくだから一緒にラグビーしよう。難しかったら、練習のサポートをしてくれないか。

 島田マネージャーは最後まで部員としてグラウンドに残った。

 現3年生には遠藤蒼太がいる。最上級生になる直前の新人戦を区切りに、選手からレフリーへスイッチした。「練習でも、ルールの知識で役に立てることがある」(遠藤)。密集に頭を突っ込んできたFLの経験が生きている。いま強化が急がれるブレイクダウンの分野では、即時に選手たちのプレーをチェックできる。フィットネス・メニューでは誰より声を上げて地面を蹴る。この人も富士見中時代からラグビーに勤しんできた大切な、埼玉ラグビーの一人だ。

 足下の地面に触れる先生の表情が柔らかだった。

「ティフトンって、この芝生はね、土の中で横に、横に成長していくんです。今はグラウンドの一部だけだけど、毎年、いろんな方の助けがあって緑の面積が広がっています」

 プリントのベタなフレーズが新入生よりも初々しい熱血先生。学級担任を7年ぶりに持つのは、前職で生活指導や学年主任を長く務めてきたからだ。背景も環境もさまざまな人を受け止め、きっちり送り出す公立中学の経験は、私立中高一貫の共学校で一つの個性となっている。もしかするとトップ選手の経験と同じくらいに。自身も、「いろんな人たち」の一人。かけがえのない回り道を糧に、生徒たちと一緒に走る。

(撮影:SEIKO KANASHIRO)
補食の準備でお米を炊くマネージャーたち(撮影:SEIKO KANASHIRO)
菊地克将コーチは社会科教員(撮影:SEIKO KANASHIRO)
赴任3年目で学級担任を持った。ラグビー指導だけではなく、教師としての やりがいも追う(撮影:BBM)