愛好家たちが集まって、ただラグビーを楽しんでいるクラブではない。
子どもたちにラグビーの魅力を伝えることも自分たちのエナジーにし、楕円球ライフを充実させているクラブが、日本のあちこちにある。
そのうちのひとつ、岡山クラブが創部70周年を迎えた。
4月29日には記念試合と式典をおこない、大勢の人たちが集まった。汗を流して杯を酌み交わし、積み上げてきた歴史を懐かしんだ。
同クラブは1953年に活動を始めた。
岡山市内の高校でラグビーをプレーしていた者たちが、仕事以外にも熱くなれるものがあったらいいね、と集まり、歴史が始まった。
県内の大会へ出場し、桃花クラブや岡山大学、三菱自動車倉敷キングフィッシャーズらと交流を持つ。
関西クラブ大会の常連で、全国クラブ大会への出場は14回。2回戦進出もある。
強いだけではない。
セブンズジュニアチームも併設し、そちらも11年の歴史を持つ。
岡山で初めて楕円球に触れ、県外の学校でプレーした後、地元に戻ってきてクラブの門を叩く者たちもいる。
子どもたちへの普及、育成に長く力を入れてきた結果だ。
節目の日には、子どもたちのタグラグビーがおこなわれたほか、OBたちが、三菱重工水島ラグビー部のクラシックチームと戦った。
メインゲームでは現役チームが三菱重工倉敷キングフィッシャーズと対戦した。
みんなが注目したメインゲームでは、久保修平レフリーが笛を吹いた。
同レフリーはクラブのOB。その縁もあって、クラブからの依頼を快諾。記念のピッチに立った。
倉敷市にある川崎医療福祉大学に学んだ久保氏は、大学2年時からレフリーとして活動を始めた。
岡山クラブに所属したのは、大学卒業後の2年間。倉敷市の少年自然の家に勤務していたとき、クラブの帯同レフリーを務めた。
久保レフリーが、当時を懐かしむ。
「メンバーの皆さんが、平日の夜に集まり、必死で走っていた姿を覚えています。私も一緒にトレーニングさせてもらいました。仕事を終えたあとに集まり、きついことをするのは簡単でははない。のちの自分の支えにもなりました」
当日夜に催された70周年記念レセプションには、同じように、岡山クラブへの愛着がある方がたくさん集まり、昔話に花を咲かせた。
会の最後には、みんなでクラブソングを歌った。
仲間たちと一緒に肩を組み、うたえる歌を持っている人生はシアワセだ。