生まれて初めて大阪を離れ、関東で暮らす。
新しい職場で、たどり着きたい場所へたどり着けた。
杉本達郎は、横浜キヤノンイーグルスで移籍1シーズン目を過ごしている。4月には加盟するリーグワン1部で、クラブ史上初の4強入りを叶えた。
26歳。スクラム最前列の右PRとして、最終節までに11試合へ出られた。プレーオフの準決勝に挑むのは5月13日。東京・秩父宮ラグビー場で、昨季王者の埼玉パナソニックワイルドナイツに挑む。
「ここまで来たら優勝を目指す。最後にいい景色が見られるように、初戦から勝ちに行きます」
東大阪大柏原高、関西大を経て、2019年に現・NTTドコモレッドハリケーンズ大阪入り。慣れ親しんだ関西を出るきっかけは、昨季途中にあった。
NTTグループが持つふたつのチームが再編成されると発表されたのは、昨年3月のことだ。
関係者の証言によると、選手へは正式リリースよりも約1か月前に内々に伝えられた。ここでレッドハリケーンズは活動規模を変え、次の2022年シーズンから戦う舞台をリーグワンの1部から3部へ移すこととなった。
若きレギュラー選手だった杉本は、高いレベルでのプレー機会を求めた。会社を辞めてプロ選手となる意向をレッドハリケーンズ側へ告げ、やがて声のかかったイーグルスへ移る。
「シーズン途中に言われ、(シーズン後には)選手がばらばらになるという本当に苦しい時期を過ごしました。それでも、目の前の試合に勝とうと(仲間と)ひとつになることで、自分が成長した。あの時期があるから、いまの自分がある。僕と同じタイミングでいろいろなチームへ散った皆も、本当に頑張っている。いい刺激になっています」
新天地でもタフに「成長」できた。ターニングポイントに挙げるのは、9月下旬から10月上旬までの菅平合宿だ。
毎朝5時に起きて坂道を走り、息のあがったところでジムへ行ってウェイトトレーニングをおこなう。以後も管理されたビュッフェ形式の食事、実戦練習、ポジションごとのトレーニング、夜のミーティングと、スケジュールはタイトに組まれていた。
その狙いを、就任3年目の沢木敬介監督は「過酷ななか、ギブアップするか、しないかを確認してきた。本性、出るんじゃない? きつくなった時に」。ここで評価を高めたひとりが、移籍して間もない杉本だった。
「まじめにやる。がまん強さがあります。だいたいね、3番(右PR)の一番、得意な(であるべき)プレーは、がまんなんですよ」
この指揮官の見解を知ってか知らずか、当の杉本は手応えをつかんだのだ。
「いままでで一番、きつい合宿でした。ただ、それを乗り越えたことで、イーグルスの仲間になれた気がしたので…いい、合宿でした」
元日本代表コーチングコーディネーターの沢木は、常に選手の献身を求める。実戦仕様のトレーニング、週に一度の個人面談を重ねる。
レッドハリケーンズの最後のヘッドコーチとなったヨハン・アッカーマンも走らせ、ぶつからせ、走らせと追い込むので有名だが、沢木の打ち出す厳しさはそれとも種類が違ったと杉本は言う。
「アッカーマンさんは練習のプランが本当にきつい、という感じです。いまの沢木さんは、本当にどこが悪かったのかを伝えてくれる」
沢木の要求に応えるほど、進歩を実感できる。
ブロンコと呼ばれる持久力テストの数値が約「40秒」も速くなり、体重4キロ増にもかかわらず体脂肪率は5パーセントも減らした。
公式サイズに書き込む「身長175センチ、体重110キロ」の質を変えたのだ。
プレーで自信を深められたのは、最前列で組むスクラムだ。アシスタントコーチのCJ・ファンデルリンデのフィードバックを受け、強いフォームを作れた。
何よりチームの結束を感じる。普段からライザーズと呼ばれる控え組の選手が、試合メンバーである自分たちに厳しいタックル、ランを浴びせてくれるのがいい。
「チーム全員がひとつの方向を見て、ひとつひとつの練習にチャレンジしてきたからいまがあります。試合よりも強度の高い練習ができていたので、この結果がある。絶対にそう思います」
所属先の再編という稀有な事象を乗り越え、1年以上が経過した。新しい暮らしにも、新しいチームにもすっかり慣れた。