大阪府内の部員不足に悩む高校を公立、私立を問わずに応援する「大阪府高校ラグビーカミングデー」が5月3日の祝日、東大阪市花園ラグビー場のメイン、第1グラウンドを使って初めて開催される。
サブタイトルは<初心者大歓迎の合同体験入部>。新入生が入部するこの時期に合わせて催されることになった。
イベントの軸は現役のリーグワン選手やコーチからのラグビー指導。参加部員たちは高校の全国大会会場と同じ緑の天然芝の上でその教えを受けられる。
コーチング終了後にはアフターマッチファンクションもある。おにぎりやソフトドリンクなどを片手に、楕円球を愛好する高校生たちがさらに交流を深める設定になっている。
このイベントは、部員増やチーム増を含め大阪の高校ラグビーへの再興隆の思いが込められている。最盛期の1980年代後半には170以上あった全国大会予選の参加校が、昨秋は単独校わずか33。少子化の影響などもあって6分の1ほどに落ち込んでいる。
主催は「大阪府高校ラグビー交流会」(以下:交流会)。大阪府ラグビー協会や一般社団法人の「スポーツを止めるな」が協力し、ラグビー場を持つ東大阪市が後援する。交流会の事務局の中心は本田祐嗣(ゆうじ)。である。
「参加校数は2月の段階で30ほどです。選手は新2、3年生で200人ほど。そこに新1年生が上乗せされます。指導者と女子マネージャーは100人ほどになります」
最低でも300人以上の参加が見込まれている。今回のイベントは「部員不足に悩む高校」がテーマのため、部員が相当数いる学校や強豪校には声をかけていない。
参加校数は30以上と多いため、指導は3回に分けて行われる。開催時間は午前9時から午後5時。ゲストのひとりは山下裕史。リーグワン、神戸(旧・神戸製鋼)に所属するプロップ。日本代表キャップは51を数える。府内の都島工から京産大に進んだ。
「スポーツを止めるな」からは代表理事である廣瀬俊朗や野澤武史らが参加する。廣瀬の出身高校も府内の北野。スタンドオフなどで日本代表キャップ28を持ち、主将経験もある。野澤は神戸製鋼の元フランカー。日本代表キャップは4。野澤は慶大で廣瀬の先輩にあたる。
参加部員たちの家族も来場可能。交流会はゲストたちと話す時間を設ける。また、会場の賃料などに充てるため、実施したクラウドファンディングも大きなうねりを示している。目標は120万円だったが、それを大きく上回り、4月15日現在、230万円が集まっている。
交流会はTwitterのアカウントも運用。さらなる認知に余念がない。
「ひとりとかふたりとか人数がいない中で、工夫して練習をしている高校生たちに、ラグビーをさらに続けてもらえるきっかけをつかんでもらえたら、うれしい限りですね」
本田は5月3日を楽しみにしている。
この交流会を運営する中心は廣瀬の母校、北野のラグビー部OB会である。本田もOBのひとりである。
「この2023年にラグビー部が創部100周年を迎えるにあたり、OB会では数年前から、こういうことをしたい、と話していました。具体的に動き出したのは去年の頭からです」
昨年7月には、交流会の「創設趣意書」を出した。その趣旨に賛同したのは、北野を含め、天王寺、茨木、四条畷、高津(こうづ)、生野の6校である。すべて、旧制中学などからスタートした歴史を持つ。天王寺は19回、四条畷は9回の全国大会出場がある。
北野の全国大会出場は6回。直近は1987年度の67回大会だった。3回戦敗退。伏見工(現・京都工学院)に12−16だった。敗れたものの、この時は46年ぶりの出場。2世代前の花園ラグビー場には約1万人の収容人数の倍にあたる2万人以上が詰めかけ、グラウンドのすぐそばまで人を入れる伝説の一戦になった。北野の3年生ウイングはのちに大阪の府知事や市長を歴任する橋下徹だった。
本田は橋下の2つ下のフルバック。京大に進み、現在は会社員である。その同じ102期生には牟田至と小山太一もいる。牟田もフルバック。関西学大からサントリーに入った。母校「カンガク」の監督を2期5年つとめている。小山はウイング。1989年度の高校日本代表。京都府医大に入学し、医師になった。
北野は府内で一番古い高校である。1873年(明治6)、英語を勉強する欧学校として始まった。その創部は1923年(大正12)。府内最古の天王寺にわずか1年遅いだけ。2校の定期戦は創部の翌1924年に始まっている。
本田は説明する。
「OBの人数はお亡くなりなった方も含めて名簿には900人ほど載っています。卒業した3年生部員は135期生になりますね」
現監督は橋爪宏和。昨秋の102回全国大会予選では15人制で出場するも初戦敗退する。四条畷に12−24だった。
今年1月の新人戦は10人制にエントリーした。慢性的な部員不足に悩んではいるが、8年前には全国大会予選後に3年生が引退し、一時的に部員が0になったこともある。それを考えれば、部員たちと橋爪の奮闘努力がうかがえる。
北野も状況は厳しい。それは他校と変わらない。それでも、できることはやる。我がことだけではなく、全体のことを考える。府内の高校ラグビーの先駆けとして、北野はOB会も含め、そのつとめを果たしてゆく。