笑顔でブーツを脱ぐ。
東京ガスの29歳、蛯名崇博(えびな・たかひろ)が2022年度シーズンを最後に引退した。
2016年の入社以来、タイトヘッドプロップとして活躍してきた。
最後のシーズンはケガでピッチに立つことはできなかったけれど、「やりたいことがある」と笑顔だ。
ラストゲームは2022年7月3日のセコムラガッツ戦。トップイーストリーグの春季トーナメント交流戦、準決勝だった。
ラインアウト時、ジャンパーの後方に抜けたボールをキャッチして前に出た。
3人のタックルを受け、膝に乗られた。右膝の前十字と内側の靱帯を断裂し、半月板損傷と大ケガを負う。2度の手術を受けた。
もともと、7シーズン目を最後にしようと考えていた。そこに大ケガも重なったから引退を決めた。
中学時代からデジタル系の趣味を持っていた。動画の撮影、編集が得意。ホームページ作成もいける。この先、ラグビー部の広報活動を支えていけそうだ。
その力は社業にも活かされる。
導管部導管研修センターのデジタル化推進の社内公募に手を挙げ、勤務している。
仲間たちほど、ラグビーへの熱い感情はないと笑う。
しかし、それはチームメートへのリスペクトを表現した言葉にすぎない。ラグビースピリットを自然に秘めている。
求められること、人に頼りにされることを意気に感じる。
フロントロー気質。最前列でスクラムを支えてきたのも、職場で自ら手を挙げるのも、「自分の居場所がそこにあるから」と照れて、威張らない。
青森県おいらせ町出身。中学までは相撲をしていた。
ただ、稽古がきつかった。年頃になり、まわし姿が恥ずかしくなったこともあり、他のスポーツを探した。
三沢商業高校に進学した際、仲の良かった友人たちがラグビー部に入るというので自分も楕円球を追うことにした。
U17東北選抜や青森県代表に選ばれた高校時代から3番を背負い続けている。
苫米地衆候監督の母校、大東文化大学に進学。スクラムをなかなか安定させることができず、レギュラー定着とはいかなかったけれど、走力、運動量と思い切りのいいタックルを評価された。
4年時には出場機会も増え、東京ガスとの縁もできた。
仕事100パーセント、ラグビー100パーセントのクラブでの毎日は、決してバラ色ではなかった。
新人時は武蔵小杉(神奈川)の寮に暮らし、職場は北浦和(埼玉)。仕事を終えた後、平和島(東京)のグラウンドで練習に励んだ。毎日、移動時間だけで4時間を要した。
その生活にも弱音を吐かなかった。「大変(な生活)と言えば大変ですが、周囲の先輩方は(仕事の責任も大きくて)もっと大変だと思っていましたので」と涼しい顔で語る。
社会人になって増量成功。110キロを越す体重を活かしたスクラムは、学生時代より進化した証だ。
体は大きくなっても、「ガキ大将ではなくて、陰で働くタイプ」と自己分析する。
自身のことも含め、戦ってきた試合の記憶はほとんどない。
飄々とそう話すけれど、最後のシーズンを終えた後の面談の場で、首脳陣が2018年6月におこなわれた強化試合、ヤマハ発動機ジュビロ(当時)戦のことを覚えていてくれたのは嬉しかった。
その試合は雨中戦となった。相手メンバーには、トップリーグで活躍している選手たちの顔もあった。
7-5と辛勝したのは東京ガス。蛯名自身、序盤こそ圧力を受けたものの試合中に修正し、相手が武器としているスクラムで互角にやりあい、トライも自分が奪った。
「それを覚えているよ、と言ってもらいました」
言葉にしてくれるわけでもないのに、実は誰かが自分を見ていてくれる。ひとつのプレーを忘れないでいてくれる。
それが嬉しくてラグビーを続けてきたのかもしれない。
「プレーのレベルでは、(現段階では)リーグワンには勝てないけど、地域密着なら負けないかもしれない。職場の方々が、自分たちがプレーしている姿を見て、感情移入し、勇気づけられることもある。東京ガスラグビー部の価値は、そこにあると思っています。近い人たちに影響を与えるチームでいてほしい」と後輩たちにエールを送る。
3月末には、品川区の親子スポーツイベントに現役選手たちと参加した。当日の様子をチームのホームページでリポート。伝えることの喜びを感じていることが伝わってくる。
自分の居場所は、芝の上だけではない。
人生を楽しむ。