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【ラグリパWest】正しい選択。菊川迪 [報徳学園/主将] 

2023.04.07

今年の報徳学園を主将として率いるスタンドオフの菊川迪。ニュージーランドへの留学がコロナでかなわず、報徳学園で1年遅れの高校生活になるが、ラグビー中心の楽しい日々を過ごしている。後方にあるのは選抜準優勝した野球部の施設。右には満開の桜の花が見える



 この4月、報徳学園で高校3年に進級した。2か月後には19歳になる。

 1歳下の同期、そして下級生たちを菊川迪(きくかわ・ゆう)は、ラグビー部のスタンドオフ主将として束ねる。

 主将の選び方は、卒業する3年生が投票し、首脳陣が了承する。
「ほぼ満票でした」
 顧問の木下友紀子はその人望の高さを語る。茶褐色に日焼けした顔は鼻筋が通り、目元は涼しい。男前。上に立つ雰囲気が漂う。

 1年遅れ。それはコロナの影響だった。茗溪学園の中学を卒業後、高校の3年間をニュージーランドで過ごすつもりだった。その渡航の時期が国境の封鎖と重なる。

 茗溪に戻るには再度の受験が必要だった。その時、報徳のことが頭をよぎる。
「リエトやコハクらいい選手たちが入学していました」
 中学の同級だった伊藤利江人や海老澤琥珀ら才能が集まっていた。中学で茨城に移るまでは大阪にいた。関西にも抵抗はない。

「ただ、なじめるか不安はありました。でもみんないい人たちで、次第にため口でしゃべり、冗談を言い合えるようになりました」

 細かいことを言わない部員が多かった。いいチームである。その集団を菊川が主将になって率いる。初めての全国大会は先月。24回目の選抜である。報徳は連覇がかかっていた。

 初戦は22−12で日本航空石川を降す。2回戦は縁があった茗溪と対戦した。
「田んぼの中でのような試合でした」
 木下は解説する。降雨で滑るボールと足元。BK展開を信条にする茗溪には不利だった。

 報徳は10−10の同点ながら、抽選で8強進出をつかむ。木下は覚えている。
「抽選が終わったあと、菊川は『ふー』っと息を大きく吐きました」
 主将の森尾大悟からは「がんばって下さい」と声をかけられた。茗溪にはメンバー入りこそなかったものの弟の逞(てい)もいた。

 やりにくさは確かにあった。
「意識していなかった、と言えば嘘になります。ただ、茗溪に勝ったことよりも、準々決勝に進めたことがうれしかったです」
 菊川はリーダーとして言葉を選んだ。

 8強戦では常翔学園に逆転負けする。31−38。この大会の予選、近畿大会でも4強戦で14−24と敗れていた。

「相手はサイズがありました。フィジカルに押され、スタミナが切れてしまいました」
 FW8人の平均身長は176センチと変わらないが、平均体重は12キロの差があった。常翔はひとりあたり101キロである。

「連覇できず、素直に悔しいです。これから、部員みんながひとつになって、練習、試合でもしんどいことを選んでいきたいです」

 迷えば、「タフ・チョイス」。この言葉は今や報徳のスローガンとなっている。次の15人制の全国大会は年末年始。前回の102回大会は1952年(昭和27)の創部以来、初の決勝進出だった。東福岡に10−41。チームは菊川を中心にその高みに再び挑みたい。

 強みはそのタックルにある。菊川は175センチ、80キロ。競輪選手のように下半身がどっしりしている。そこを動力源に、ボール保持者に低くぶち当たる。旧チームのスタンドオフは伊藤。鋭角的なステップなど超攻撃的だった。菊川は真逆。チームは前半、伊藤で得点を稼ぎ、後半、守備的な菊川にそのリードを守らせる。ひとつの形だった。

 菊川は父と二人三脚でそのアピール・ポイントを身に着けた。
「小さい頃、休みの日にタックル練習をしていました。タックルダミーを倒しながら、グラウンドを往復したこともあります」
 父は遵(じゅん)。ラグビー経験者。江ノ電と湘南の青い海を見下ろす高校に通った。

 その父の影響で菊川は小3から阿倍野ラグビースクールで競技を始めた。
「中学は勉強ができて、部活でラグビーが毎日できる環境を探しました」
 その学校が茗溪だった。3年の東日本大会ではスタンドオフとしてチームを優勝に導く。決勝で國學院久我山を22−21で破った。

 中高とも司令塔。それでも自己評価は低い。
「ゲーム・コントロールを含めて、すべてが未熟です。試合を見て勉強しています」
 S東京ベイ(旧クボタ)のバーナード・フォーリーやサラセンズのオーウェン・ファレルを参考にする。代表キャップはそれぞれオーストラリアで75、イングランドで93を持っている。

「できるところまでラグビーを続けたいです」
 名前の漢字、「迪」は「みちびく」、「すすむ」などの意味。自己実現のためにも、菊川は前進する。1年遅れは前向きに捉えている。
「2学年をまたいで友達になれました。関わる人が増えたことはいいことだと思います」
 新1年生の入部は50人以上、部員数は史上最多の110人強と予想される。クラブの勢いを物語る。菊川はその先頭に立つ。

 練習が終われば、10人ほどの仲間と円を描くように人工芝にうつぶせになって、語り合う。そのあとはテニス球を使った野球が始まった。前日の甲子園準優勝に触発されたのだろう。野球とは隣同士で切磋琢磨している。

 楽しいことは練習とは別物のようである。コーチの大内亮助は自信があった。
「今日は試合形式でかなり走らせました」
 その言葉を砕くように、高校生たちは生き生きと桜花あふれる午後を過ごした。

 ここに来て、よかったかね?
 菊川に聞くまでもない。16での選択は、正しかったに違いない。


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