昨年の秋まで進路未定だった大学4年生が、年度が変わらぬうちに国内リーグワン1部でデビューできた。
中森隆太は幼い頃から目立つのが好きで、「人前に出て何かをやって、度が過ぎで先生に怒られることも多々」。何かしらで有名になりたい……。自己実現の場に選んだのは、ラグビーだった。
小学1年の頃に福岡県のかしいヤングラガーズで競技を始め、輝翔館中を経て強豪の東福岡高に挑んだ。
もっとも、対外的なアピールの機会は限られた。
選手層の厚い高校では主力定着までに苦労し、卒業後に入部した立正大では長らく関東大学リーグ戦2部でプレーした。他の同級生が次々と卒業後のプレー先を決めるなか、中森は狙っていたリーグワンのクラブ入りを叶えられずにいた。
大学4年目の秋こそリーグ戦1部でキック力、走力のあるSHとして気を吐くも、卒業後は進路未定のままニュージーランドへ留学する予定だった。
転機は、晩秋に迎えた。
大学ラストシーズンの最終戦を終えた11月末、リーグワン1部に上がったばかりの三菱重工相模原ダイナボアーズから声がかかった。計画的に強化するビジョンも伝えられ、前向きになった。
リーグワンは今季から、大学選手権終了後から大卒予定の内定選手がプレーできるアーリーエントリーという制度を発足させた。所定の手続きを済ませた中森は、競技に専念するプロ選手として早期のデビューを目指した。
「12月にチームに合流。(部内の)ルーキーのなかでは一番、最初に合流しました。ラグビーに触れていないのは不安だったので」
初のベンチ入りは3月19日。昨季王者の埼玉パナソニックワイルドナイツとの第12節でリザーブ入りした。
グレン・ディレーニー新ヘッドコーチに「チームで努力をしていたからチャンスをつかんだ」と太鼓判を押され、39点差をつけられていた後半36分に登場した。
「前半からムードが悪くて、タックルも決まっていない。自分が入ったらエナジーを与えて、常に身体を張ろうと考えていました。ヘッドコーチからは『チームが求めるディフェンスシステム、キックの部分を理解し、思い切りやってください。ミスしてもいいから』と」
3分後、相手の反則により敵陣ゴール前でのトライチャンスに直面した。
接点の周りでじっくりパスを回しながら、「ラックサイドは常に狙っていた」。機を見てサイドアタックを仕掛けた。
最後はCTBのカーティス・ロナのトライなどで29-61と差を詰めた。結局、このまま敗れたが、初陣を飾った中森は笑顔で未来を見据えた。
「もっとやれるな。自信は、つきました」
新星は同じSHの位置で、この日欠場した岩村昂太主将らと切磋琢磨する。
東福岡高の先輩でもある岩村には、試合中の判断やスキルについて臆せずに質問する。多くを学び、かつ自分の色を出す。
入部後の姿しか知らないダイナボアーズのスタッフの1人は、中森が最近までどこからも声のかからなかった選手だと聞いて意外に思ったという。
本人は改めて言う。
「(リーグワン入りは)本当に、めちゃくちゃ、嬉しいです。もう、それ以上(の言葉)はないです。プロ選手としてラグビーに没頭して、2027年のワールドカップの(日本代表)メンバーになり、試合に出たいです」
開幕2連勝も現在12チーム中10位のクラブに、刺激を注入する。