差し出しされたペットボトルのお茶には、白い紙コップがつけられていた。来訪者にそのまま口飲みをさせない配慮である。
お茶のブランドはサントリー。敵を愛する。そのラグビー精神は今も残る。
山下貴史(たかし)は、「空飛ぶウイング2世」と言われたりもした。30年ほど前の大体大時代である。監督だった坂田好弘の愛称をもじってつけられた。
坂田と似る。「きゅいーん」と音が残るかのようなスピード、160センチ台の決して大きくない体躯。背番号も同じ11だった。坂田は半世紀ほど前の伝説のウイング。日本代表キャップ16を有する。
山下は今、近鉄グループホールディングスにいる。坂田も大体大監督の前に籍を置いた会社だ。当時は近畿日本鉄道だった。
山下は昨年11月、ラグビー部OBとして、ホールディングス4人目の部長となった。社格にもよるが、グループ会社に行けば、社長になる。同じOB、職階である5歳上の木村雅裕は愛媛近鉄タクシーでその任につく。
「どっかで見てくれている人がいるんやな、と思いました。自分としては一生懸命やって来たつもりです。感謝しかありません」
山下は顔全体をくしゃくしゃにする。現在の職場はKCN。近鉄ケーブルネットワークの略称である。本社は奈良県の生駒。近鉄お膝元のこの県内を中心にケーブルテレビやインターネットなどの通信サービスを行う。社員は250人ほど。ラグビー部OBでは監督経験者の坪井章がいる。坪井は山下の大体大の後輩にもなる。
「もうここに20年ほどおりますわ。マンションや工事現場への営業もやったりしました。相手はオーナーや現場監督。変なことも言われました。でもしゃにむにやってきました」
クセの強い人たちと対峙する。相手を研究して、攻略してゆくラグビーの経験が生きる。人にもまれたことが、紙コップつきのペットボトルのお茶になる。
近鉄の入社は1994年。OBの坂田の推しもあったが、親しみも感じていた。
「私はザ・近鉄のようなものです。産湯(うぶゆ)に浸かったのは沿線です」
生家の最寄り駅は弥刀(みと)。東大阪にある。会社員のスタートは路線バスなどを統括する自動車局。7年後、KCNに異動する。
近鉄には総合職として入った。今のホールディングの社長になれる資格を有する。
「ラグビー部の総合職の同期は5人でした」
その数はこれまでで最多。同じ大体大から阿部浩之と森山智(さとし)。大経大から栢本(かやもと)和哉、立命館から田中章。山下とフルバックの栢本は日本代表のすぐ下になる日本A代表などに入る。阿部はロック、森山はFW第3列、田中はプロップだった。
関西では神戸製鋼(現・神戸)の7連覇が終わる頃だった。全国社会人大会(リーグワンの前身)と日本選手権である。山下の時代、近鉄の最高は関西リーグでは4位、全国社大会は8強だった。
2002年度シーズンを最後に現役引退する。
「原因不明の熱がずっと出ました」
31歳。小さい体で無理を重ねた結果だった。翌年度、関西、関東、九州の三地域のリーグ戦が全国規模のトップリーグに集約された。今はリーグワンに変わる。
山下が競技を始めたのは高校入学後。大阪の府立校、清友(現みどり清朋)だった。
「段柄ジャージーを着た先輩が女の子と親し気に話していました。もてるかな、と」
ラグビーが下地のテレビドラマ『スクール★ウォーズ』のヒットもあった。
「面白かった。ボール持ってすいすい行けました」
チームは強くなかった。最高で3回戦。天性の速さこそあれ、山下自身も注目される選手ではなかった。
「上でやりたかったけど、競技歴がない。ただ、大体大の一般推薦は割と平等でした」
清友の体育教員2人が卒業生ということもあった。それなりに勉強もできた。
その選択は正解だった。坂田の眼力で山下のラグビーは花開く。2年からレギュラーに抜擢された。その年、関西リーグを6勝1分で制する。チーム4回目の優勝だった。続く大学選手権は初戦で早稲田に19−24。28回大会(1991年度)は8校制だった。
楕円球を持つことは今も続いている。週末は布施ラグビースクールの指導員になる。
「できる子、できひん子がいる。どういう風にうまくやっていくか。自分の修行の場にもなっています」
休日でも仕事に生かせる学びがある。
大体大を出てから、一筋に勤めるこの巨大企業のよさを語る。
「仕事は選びたい放題。自分のやりたいことがなんでもあります」
150近いグループ会社がある。鉄道、バス、タクシー、不動産、百貨店、ホテル…。関東出身者も地元に戻れる。会社の看板は仕事をしていく上で大きな後ろ盾になる。
KCNは会社ぐるみでチームを応援してくれている。縦1.5×横3メートルほどの大応援旗を持っている。
「社長の桑原克仁(かつじ)が、作りましょう、と言ってくれました」
試合会場に行けば、山下もこの旗を振る。
花園近鉄ライナーズに名前を変えたチームは元気がない。開幕12連敗だ。
「試合は勝ち負けがあるものです。負けてもハートのある試合をしてくれればいい。ファンは案外多いものです」
不振にあえぐラグビーに向け、OBにとって本当の意味での応援は、社内で発言権を持つことである。社業で成績を残し、出世する。それがラグビーの保護、発展につながる。山下はそのためにも、仕事にまい進してゆく。