石井健太郎はうきは市の職員である。
福岡県の南東部において、市民の生活を支え、守る。その中にはラグビーチームも含まれる。LeRIRO福岡(ルリーロふくおか)。昨春、うきは市にできた社会人チームだ。
「これまでラグビーは見たことがなかったのですが、めちゃめちゃ面白いスポーツですね。プリミティブ、原始的というか、肉と骨がぶつかる音がすごいです」
石井はルリーロを通じてラグビーの虜(とりこ)になっている。絶やさない微笑、耳を覆う少し長い髪は人を構えさせない。
ルリーロは主となる企業を持たず、地域に密着して運営を行う画期的なチームだ。これまでの社会人チームのスタートは市役所や警察なども含め企業スポーツだった。
ただ、その親会社がない分、選手は個々に就労の場を見つけなければならない。石井は「うきはブランド推進課」の商工振興係の長として、その仕事のあっせんなどもする。
市が面倒を見る地域おこし協力隊に3人。製造業や製材所、さらには果樹園で働く者もいる。「うきは版ハローワーク」と石井は笑う。チームの事務所や部員の住まいの相談、公用車の活用などもその業務に入る。
うきは市の誕生は2005年。浮羽町と吉井町が合併してできた。同年、石井は入庁する。今では43歳。ベテランになった。
市は東を大分の日田、西を久留米と接する。人口は約2万7000人。筑後川の水利と大分への往還になる筑後街道で古くから栄えた。土蔵や商家などが連なる「白壁通り」はその名残である。大河の恩恵を受け、土は豊潤だ。ぶどう、いちご、梨などの栽培が盛んで、果樹園の仕事はその流れである。
その市を軸に、ルリーロの活動を支えるため、昨年6月、「4者協定」が結ばれた。うきは市商工会と福岡の県立高校、浮羽究真館の2者が加わる。その協定の項目は5つに分かれ、リーグワン参入へ向けた社会事業の貢献などが織り込まれている。
浮羽究真館にはルリーロ立ち上げの軸となった吉瀬(きちぜ)晋太郎がラグビー部監督としている。この4者協定の締結にこの吉瀬とともに石井もまた尽力する。
2人の出会いは2年前にさかのぼる。2021年の秋、石井の事務所に吉瀬がやって来た。
「しんたろうさんは熱い先生と聞いていました。無理に会おうとしなくても、いずれ会うと思っていました」
石井は吉瀬の「この街にラグビーチームを作りたい」という思いにうなずいた。
「タイミングがついに来た。運命だと思いました。そして、何でかわからないですけど、会ったら、しんたろうさんの1回目のお願いは受けようと思いました」
石井は初対面のその前から吉瀬に突き動かされていたことになる。石井の呼び方には6歳下の吉瀬に対して、尊敬と親しみがこもっている。
半年後、ルリーロは産声を上げた。
吉瀬は言う。
「物事はダメなこと、できないことの理由を探せば色々あります。そんな中でけんたろうさんはできる方にフォーカスしてくれます」
石井の前向きな姿勢は美徳のひとつである。
石井は入庁して3年は総務。その後の6年は教育委員会。そして今の商工振興係に来た。
「総務では防災を担当しました。教育委員会では学校教育以外の小学生のスポーツをやりました。生涯学習の一環ですね」
係はコロナの蔓延期においては多忙だった。
「中小企業が助成金を受け取れるようにお手伝いをしました」
このうきは市で石井が職を得たのはUターンと言えなくはない。
「父は浮羽町、妻は吉井町の出身です」
石井は久留米にある明善高から関西学院大に進んだ。大学では法学を学んだ。法律的な知識も持ち合わせている。心強い。
石井の援護でできあがったルリーロは昨秋、参入即優勝をする。6チーム構成のトップキュウシュウAリーグだった。続いて関東、関西、九州の三地域の社会人リーグ順位決定戦に進む。東京ガスには14−90と差がついたが、大阪府警には22−36と競った。
石井がサポートしたその1年の足跡は驚嘆に値するが、リーグワンが新チーム参入に漠然と課しているチームとしての収益性などを含め、独り歩きするためのハードルは高い。
「昔は、ゲームで食っていけるか、と言われました。でも今は違う。常識は常識でなくなる可能性があります」
石井は意に介さない。不可能と思われていたゲームで数億を稼ぐ人間が出てきた。ラグビーの世界でも、ルリーロがそうならないとは言い切れない。
「私はチャレンジしている人を笑いません。そして、うきは市を若い人やおじいちゃんやおばあちゃんも含めて、色んな人が色んなことをやっている街にしたいのです」
石井の望む活気や多様性の先にルリーロがある。こういう人間が時には「お役所仕事」と揶揄される行政側にいるのは心強い。ルリーロの前途が明るくないわけがない。