長谷川寛太の人生は上昇に転じた。
望み通りの教員になれた。ラグビーも続けられている。これまで、コカ・コーラとサニックスで2度の休部を味わった。紆余曲折があった。
来月で27歳になる。
「毎日が楽しいです。充実しています」
黒い目は小さくなり、目じりは急降下する。179センチ、113キロのプロップは子熊のよう。体から来る威圧感はない。
サニックスではプロだった。今後の身の振り方を考えていた時、知らせが入る。
<浮羽究真館で体育教員の欠員が出た>
いずれ就きたいと思っていた職。教員免許は母校の帝京で取得済みだった。
昨年7月から、長谷川は福岡の東南部にあるこの県立高校で勤務している。ここのラグビー部は県大会8強の常連になった。8年前に戻って来たOB監督の吉瀬(きちぜ)晋太郎の功績である。
長谷川はサッカー部の顧問になった。
「部員はカツカツの11人です」
同じ保健・体育科でラグビーを専門とする者がすでに2人いた。吉瀬とその恩師である石藏慶典(よしのり)。2人が出会った当時の校名は浮羽だった。石藏は今、部長として監督の吉瀬を支えている。長谷川は空き時間にラグビー指導に関わらせてもらっている。
長谷川に代用教員として声がかかったのは、現役プロップということも含めてだ。浮羽究真館があるうきは市には、また「LeRIRO福岡」がある。アルファベットの読みは「ルリーロ」。吉瀬を中心に昨年3月に立ち上った地域密着型の社会人クラブである。
このルリーロには長谷川の知己が多い。出身者はコカ・コーラが5人、サニックスは12人。2チームが休部したあとの受け皿的な役割を果たした。チームは創部初年ながら、昨秋のトップキュウシュウA(6チーム構成)で優勝する。リーグワンのディビジョン1から数えれば4部相当にあたる。
リーグ戦を勝ったルリーロは関東、関西、九州の三地域の社会人リーグ順位決定戦に進む。東京ガスには14−90と差をつけられたものの大阪府警には22−36と競った。長谷川は2試合とも右プロップで先発した。
ここ九州は長谷川の故郷でもある。生まれ育ったのは長崎。競技は高校で始めた。父の文也(ふみや)が長崎西で経験者だったことなどがあった。長谷川は長崎北陽台に進む。この県下有数の進学校には自力で入った。スポーツ推薦でない。
高校には下宿して通った。
「ラグビーの時間は濃かったです」
1対1でスクラムを組む。互いの足の後ろには板。下がれない。どちらかが崩れるまで組み合う。
「相手がくるくる変わって、いつも最低でも20分はやっていました」
FWコーチは浦敏明だった。浦は1980年(昭和55)、この学校に保健・体育の教員として赴任する。同時に創部した。冬の全国大会出場21回、県内最多の礎(いしずえ)を作る。現監督の品川英貴も教え子である。
「浦先生のおくさんは毎日、おにぎり8個とおかずを持たせてくれました」
下宿は女子もいた。食事は不足気味だった。
「お金はいっこも払っていません」
両親はなにがしかのお礼はしているが、子供の目には触れていない。長谷川は浦の愛情を感じる。教員への憧れはその存在もあった。
冬の全国大会には3年時に出場した。94回大会(2014年度)だった。2回戦で春日丘(現・中部大春日丘)に17−26で敗れる。そして、上京する。進路は帝京だった。
「元々は勉強して地元の長崎大に行くつもりでした」
高3春の九州大会で東福岡に大敗する。その時、大柄な男が寄って来て、ささやいた。
「悔しいやろ。大学でヒガシみたいな強いチームを倒したくないんか」
岩出雅之だった。岩出は日体大で浦の後輩にあたり、品川の先輩になる。
「日本一のチームに誘ってもらえました。チャレンジしようと思いました」
教員免許を取得が念頭にあったため、学部はラグビー部員の多くが在籍する医療技術ではなく、教育を選んだ。同期主将はロックの秋山大地(トヨタV)である。
入学時、帝京はすでに大学選手権で6連覇していた。プロップも多士済々だった。1学年上には西和磨や李城?(り・そんよん)、同期には岡本慎太郎らがいた。西はBR東京(旧リコー)、李は花園L(旧・近鉄)、岡本は静岡(旧ヤマハ)でプレーを続けている。
長谷川の対抗戦出場はない。最上級生として大学選手権連覇を9で止めてしまった。競技は振るわなかった一方、岩出からは人生を生き抜く言葉をもらう。
「想定外を想定せよ」
恩師の言葉があったから、合計3年を過ごしたコカ・コーラとサニックスの連続休部にもそうは驚かなかった。
「こういうことなんだな、って思いました」
浮羽究真館に来て、高校教員になって、続けていることがある。朝、校門の前で辻立ちをする。生徒の交通安全とあいさつのためだ。通り過ぎる車にも頭を下げ、「おはようございます」と丁寧に言葉をかける。
「何かひとつ続けようと思いました」
監督の吉瀬は感嘆する。
「今日は無理なんで、ということはまったくありません。毎日必ず立っています」
暑い寒いも風や雨も関係ない。
「長谷川先生は誠実です。ごまかしがない。人物としては申し分ない上に、同僚、学校職員、生徒からの評価も高いです」
吉瀬はベタほめする。長谷川はその望み通り、教育の入り口にとりついた。辻立ちを続けながら、ラッキーを必然に変えてゆきたい。奮闘はまだまだこれからである。