ラグビーを教える情熱は160センチに満たない短身の中で、いまだに燃え盛っている。
春口廣は今年7月で74歳になる。関東学院を大学選手権で6回の優勝に導いた。そして先月、新たに女子ラグビー「YOKOHAMA TKM」の監督になる。
監督就任会見の3日前、2月25日には山口県にいた。30人ほどの中学生男女を相手にラグビークリニックを開く。防府(ほうふ)にある高川学園の第2グラウンドだった。
「ENJOY! 楽しんで下さい!」
人工芝に入れば、声は隅々まで通る。背筋はピシッと伸びる。伴走する。
「すごいですね」
その動きに菅野一良(すがの・かずよし)は感嘆する。今回のクリニックの世話役である。菅野の次男、太央(たおう)は地元の萩商工から関東学院に進んだ。「笑わない男」こと稲垣啓太(埼玉)のひとつ下。春口は恩師である。その縁がある。
「ナイスキック。いいねえ」
春口は盛んに声をかける。くさすことはない。若いコーチの説明がいささか冗長、と感じるや、ピッと笛を吹く。グループを作らせ、鬼ごっこ。興味をそらせない。
春口が作った大学選手権の優勝回数6は早明、帝京に次ぐ歴代4位である。1997年度から10年連続して決勝戦に進出した。最後の頂点は2006年度の43回大会。決勝で早稲田を33−26で破った。
監督就任は1974年(昭和49)だった。日体大の専科(大学院)を出て、神奈川県立の工業高校、向の岡(むかいのおか)で1年教壇に立ったあと、着任した。
「あの頃、俺は全国を回ったよ。選手を勧誘しにね。この山口にも来たはずさ」
強くなる前は素材を探さなければならなかった。10年で関東リーグ戦一部に上げる。強豪化とともに高校との立場は逆転する。
教え子の中での一番を挙げる。
「やっぱり、箕内だろうなあ」
箕内拓郎はリーグワン、日野のヘッドコーチ。FW第3列として日本代表キャップは48。190センチほどの体を利したプレーはダイナミックだった。出身高校は福岡の八幡である。
仙波優(まさる)のことは話す時間を割いた。速さと強さを兼ね備えていたバックスリー。7人制日本代表の軸だった。
「才能のかたまりだった。ああいう子は代わりがいないんだ」
トヨタ自動車にゆく。1999年、25歳の若さで亡くなった。自動車事故。旅立った者には2度と会えない。だからこそ、忘れられない。つい饒舌(じょうぜつ)になる。
仙波は最初、名門の松山商の野球部だった。能力を妬んだ先輩から理不尽な扱いを受けたという。退部したのをラグビー部の監督だった渡部正治が拾い上げた。
「渡部先生が関東学院に入れたい、と。なんかしらの匂いがあったということ」
日体大の後輩から連絡を受け、愛媛に飛ぶ。春口は仙波の人生を開かせる。
「持って生まれた能力というのはどうにもならないんだよ。教えられないんだよ」
防府でのクリニックでのびやかな走りをする女子がいた。能力は高い。
「でも、コンタクトは嫌いかもしれない」
本質を探るのが春口の言う「指導者」である。ラグビーにむくかどうか。
霜村誠一の名前も出る。東農大二出身のCTBだった。春口は凄みをわかっていた。
「時間かけてメシを食ってた。ぐずぐずとは違う。すげえ。大物になる、と思ったよ」
できるだけ栄養を体に取り込む。霜村はパナソニック(現・埼玉)で日本代表キャップ6を得る。現役引退後、桐生第一の監督をつとめ、就任4年で冬の全国大会出場を決める。98回大会(2018年度)だった。
才は天から下りてくる。見抜くだけ。ただ、それだけではチームは成立しない。仙波を慕い、同じトヨタ自動車に入った福島孝之がいる。
「叱ったよ。指導が違う、と言われたけど、そりゃそうだよ。時間はかかったね」
才能はそのまま伸ばす。劣る者にはコーチングを施す。指導とは何か、を知る。だからこそ、ラグビーでは無名だった関東学院を学生日本一のチームに仕立て上げた。
2007年、部員の不祥事で監督を辞任する。6年後、監督に復帰するが、その年限りで退任した。65歳に達した2015年、大学の規定により教授を定年退官する。現在はNPO法人「横濱ラグビーアカデミー」の理事長である。週末に指導を続けている。
この防府であったクリニックには桜井勝則、篠崎祐の関東学院OBも参加した。桜井は創成期のメンバー。190センチほどの長身を生かし、WTBとしてリコー(現BR東京)でも活躍した。不祥事後、部長に退いた春口の代わりに監督をつとめた。教え子たちは今も春口を支える。
じき本格的に始まるYOKOHAMA TKMでの日々が楽しみでならない。
「横川先生から熱心に誘ってもらってさあ、うれしくって、感謝しかないよね」
チームの代表であり医師でもある横川秀男の名前を挙げ、ありがたさを表現する。
YOKOHAMA TKMの創部は2011年。7人制と15人制をこなす本格的チームだ。昨年は太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ(4大会制)で総合3位。初戦の熊谷大会では優勝した。春口の知恵と経験が生かせる。
「俺からラグビーを取ったら、何も残らない。グズ、支離滅裂、あと何かなあ、まあダメ人間の典型だよね。そんなヤツがさ、長い間、ラグビーに携わらせてもらっている。これからもそう。感謝しかないよね」
感謝という言葉が重なる。さらなる挑戦は74の年。幸せな人生である。