姿を見つけると、何人ものファンが駆け寄ってきた。
チームのホームページやツイッターで、3月3日の静岡ブルーレヴズ戦が「最後の試合」と発信されていたからだ。
横浜キヤノンイーグルスの髙島忍育成・普及担当が、同日の試合を最後にチームから離れた。
4月から立命館慶祥中学校・高等学校(北海道)の先生になる。
ブルーレヴズ戦はナイター開催だった。
新しい道へ踏み出すことを知ったファンが、秩父宮ラグビー場で髙島さんの姿を見つけると、何人も駆け寄っていた。
涙を浮かべる人。
花の首飾りを作ってきたファン。
愛されキャラが伝わってくる。
一緒に写真を撮ったり、話したり、多くの人たちが今後の人生へのエールと、イーグルスでの日々への感謝の気持ちを言葉にしていた。
髙島さんは2015年の入社以来昨季まで、8シーズンに渡ってプレーした。
最後の年はHOとして15戦すべてに出場。試合をしめくくる時間帯を任される信頼を勝ち得ていた。
そんな中で引退を決めたのは、「教師になり、ラグビーを教えたい」と、明確な人生の設計図を持っていたからだ。
30歳になったら、その準備を始めたいと考えていた。そして実行した(2022年8月31日で30歳になった)。
教員免許は立命館大学在籍時に取得していた。
立命館宇治高校出身で、立命館ラグビーの中で育ってきたこともあり、将来のことは大学ラグビー部の部長にも相談していた。
指導者となることを第一に、可能性は立命館の枠に限っていなかった。結果的に、幸運に恵まれた。
立命館慶祥高校は先の全国大会で、初めて花園出場を果たした。
継続的に強化を進めていきたい流れの中で、「自身の経験を立命館ラグビーに還元していきたい」と考えていた30歳に声がかかった。
4月から保健体育の教員として、中高生を教える。
引退後に力を注いでいたアカデミーでの指導経験も生きそうだ。
「中学生には、ラグビーは面白いと思ってもらえるような指導をしたいですね。まず楽しむ。その根本を伝えたい」と話す。
勝負の世界で生きてきた経験は、特に高校生たちの参考になるだろう。
「勝てばおもしろい。沢木さん(敬介監督)から学びました。初出場から、花園で1勝、2勝することが目標になるでしょう。勝ちたい気持ちが強くなると思うので、そこをサポートできれば」
168センチのサイズながら国内最高峰リーグで、フロントローとして戦えたのは、自分の強みを理解していたからだ。イーグルスで初めて先発の座を掴んだのは入団から7年目だった。
選手たちの心に響く話もきっとできる。
コーチとして、若者たちに影響を与える存在になれそうだ。
北海道へ向かう引っ越しの準備を進めている。
同じ時間を過ごしてきた仲間たちは、初めてのトップ4入りを目指して奮闘中(この日の試合は22-22の引き分け)。「今シーズンこそ、そこに到達してほしい」と応援する。
「これからはサポーターのひとりとして応援していきます」
北海道でイーグルスの魅力を広めたい。
そして、ラグビーと一生付き合っていく若者たちを増やす。