ラグビーリパブリック

四度の前十字靱帯断裂を経て。小林広人[静岡ブルーレヴズ]の生きる道。

2023.03.02

合同トライアウトを経て、2015年入団。近大OBで先輩の山本幸輝(現神戸S)、古川新一(現S愛知スタッフ)の存在が大きかった(撮影:松本かおり)

 無事之名馬(ぶじこれめいば)。

 競馬好きだった作家、菊池寛が作ったとされる造語だ。「能力が多少劣っていても、怪我をせず無事に走り続ける馬が名馬」。そう解釈されることが多い。

 静岡ブルーレヴズの小林広人は、近大在学時に中島茂総監督から言われたこの言葉が身に染みる。
 過去には左右で2度ずつ膝の前十字靭帯を断裂する、大ケガを経験した。

 はじめは大学2年の終わりごろ(左膝)。4年の秋シーズンに今度は右膝。リハビリ中に加入したヤマハ発動機では、復帰初日の練習で再断裂。
 4度目は2020年の11月、左膝を負傷した。

 そんな辛い経験を、関西人らしくユーモアで包む。
「僕アホなんで(笑)。やってしまったことはしょうがないと。そんなに落ち込むことはなかったです」

 ただ、「4回目は応えた」。それまでのパフォーマンスに、手応えを感じていたからだ。
「3回目のときに次やったら、ラグビーを辞めようと思っていました。ただいざ、そういう状況になると辞められなかった。せっかくこの状態まで持ってきたのに、いま辞めたらもったいない。絶対に戻ってこようと。その日は泣きましたけど、次の日からは切り替えました」

 原因を突き止めた。4回とも、ステップを切った時など外的要因がない状況での受傷だった。
「全部自分のせいなので、筋肉のつき方が悪いんだと。4回目でようやく気づきました(笑)」
 ウエートのメニューを変えた。一般的なトレーニングでは疎かにされがちな太ももの内側を強化し、膝が不安定にならないよう努めた。

 昨シーズンには、2年3か月ぶりに公式戦復帰を果たす。そして今季、第9節時点で6試合に先発出場。好調を維持する。
 明日3日のイーグルス戦でも、13番で先発予定だ。

 屈強な海外出身選手がペネトレーター役を担うことの多いアウトサイドCTBのなかでは、173㌢、83㌔と小柄も、豊富な運動量とディフェンス力で定位置を掴む。

 走行距離を測るGPSの数値は、ほとんどの試合でチームトップだ。度重なるケガに悩まされたが、体力は落ちなかった。
 自身も「コンディションはめちゃくちゃ良い」と自信を見せる。

 トップスピードで上がり続けることのできるキックチェイスは大きな武器。2節前のスティーラーズ戦では、そのチェイスからの攻守逆転でトライを演出した。

 無尽蔵のスタミナは、中学での猛練習で手に入れた。地元の楠根中にはラグビー部がなかったから、隣町にある弥刀(みと)中まで自転車を30分漕いで練習に参加した。

 その弥刀中で監督だった本多先生(ヤマハ発動機OB)が当時、鬼コーチだったのだ。
「2年生の時は3年生がひとりもいなかったので、なかなか試合に勝てない。でも負けるとその日に学校に戻って、ランパス50往復とかやらされてました」
 苦行を笑って懐かしむ。
「でもそこで基礎体力がつきました。それからフィットネスで苦労したことはなかったです」

 ヤマハ発動機ジュビロに加入してからは、ディフェンスで生きると決めた。先駆者がいた。
「宮澤さんは師匠です」

 宮澤正利はディフェンスの要として、13番を不動のものにしていた。170㌢、80㌔のタックラーだった。
「清宮さん(克幸・当時監督)にはずっと宮澤のプレーを見とけと言われていました。自分も(大きい相手に)フィジカル勝負では敵わない、相手が走り出す前に間合いを詰める。CTBは一番間合いが大事。そこで勝負しています」

 そのディフェンスは、静岡ブルーレヴズと名を変えてもチームポリシーのひとつである。総失点数207(第9節時点)は、リーグで5番目に少ない。小林の貢献度は高い。
「僕らはそこまで得点できないけど、ディフェンスでは上位チームとも戦えている。まずは相手のアタックをどれだけ抑えられるか。それから敵陣に入ったときに、そう多くないチャンスをどれだけものにできるかだと思います」

 昨年の11月には30歳になった。ベテランの域に入る。「チームの足を引っ張るようなコンディションならスパッと辞めようと思っています」と話す。
「でも2、3年は少なくともキープできる自信がある。まだまだ続けたい」

 4度目の靭帯断裂後、引退を踏みとどまったのは、もうひとつ理由があった。
「当時は娘が1歳くらいで、自分がラグビー選手だったことを覚えてもらえるまでは続けたいという思いがありました。いまではチーム名も言えるし、負けた日には相手チームのジャージーの色を見つけると、『次はやっつけるから!』とテレビに向かって言ってくれます(笑)。ただ、息子がついこないだ1歳になったばかりなので、今度は息子が覚えてくれるまで頑張りたいですね」

 それが叶うまで、パパのハードワークは続く。

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