スタッフが証言する。毎日ひとつずつ、新しい日本語を覚えているらしい。
ニック・フィップスのことだ。国内リーグワン1部のNECグリーンロケッツ東葛に今季から加わる。
オーストラリア代表72キャップ(代表戦出場数)の34歳。世界を渡り歩いて作った矜持を、職業倫理を、日々の行動で示す。
初めて入った日本のクラブでも、ひと足早くクラブハウスに訪れ、全体練習後の個人練習も欠かさないようだ。
チームの主将で元日本代表のレメキ ロマノ ラヴァは、その勤勉さにうなる。
「ワークレート(仕事量)がめっちゃ高い。ずーっと動く。元気。そして、プロセスのところがすごい。練習でも、オフフィールドでも、スタンダードが高い。皆のスタンダードを(フィップス並みに)上げれば、勝てるチームになる」
試合本番でも頼りになる。
レメキいわく「身体はでかいし、タックル、ジャッカルに入れる」。確かにフィップスは身長180センチ、体重87キロと、攻撃の起点たるSHにあっては大柄だ。
自陣ゴールエリアで相手のグラウンディングを阻止したり、迫る走者を羽交い絞めにして味方の防御網が整うのを待ったりと、身体のぶつけ合いで光る。
何より際立つのは、SHに必須の球さばきである。
接点に圧力がかかるなかでも、正確で、長いパスが放たれる。球筋は攻防の境界線あたりでまっすぐに伸び、緩やかなカーブを描いて受け手へ届く。
同僚によると「球質は軽い」。手元で弾かないから、捕りやすい。これが防御の死角へピンポイントで届けば、攻めにリズムが出る。
司令塔団を組むSOの金井大雪は言う。
「パス自体が速い。(捕球時に防御と間合いが取れるので)余裕を持ってプレーできる」
日本代表SHの齋藤直人は、東京サントリーサンゴリアスの共同主将として第2節でグリーンロケッツと対戦。50-19のスコアで優勝候補の存在感を示しながら、フィップスに学んだ。
「もう(加入早々に)、チームを動かしている。忠実に、パスがきれいで、どんどん(周りに)ボールを供給していくタイプだなと」
2月26日、東京・秩父宮ラグビー場。第9節で開幕節以来の白星を目指した。
グリーンロケッツはキックを重んじた。三菱重工相模原ダイナボアーズを向こうに、時にはコーナーに、時には中央に蹴った。
フィップスもそれに倣った。接点の周りからハイパントを放った。ボールの落下地点では、味方が好タックルを決めていた。
WTBの杉本悠馬は、普段のトレーニングでフィップスのキックを捕る側へ回ることもある。そのクオリティを、皮膚感覚で知る。
「(最高到達点が)高い。(下降する球は)味方のほうへ戻る。(敵側からすれば)『この辺だろう』と思ったところより3~5メーターくらい前に落ちる。初見の相手は落とすんじゃないですかね」
好位置で自軍ボールを得れば、名手の、パスが冴える。
7点差を追う前半34分だ。フィップスは敵陣22メートルエリアでアタックを統率する。右へ、右へ、次は左へと回す。突破役を前進させる。
ゴール前まで進む。ダイナボアーズの防御に隙間ができるのを逃さず、短く通す。
駆け込んだSOの金井が、難なくフィニッシュした。
まもなく14-14と並び、金井は言った。
「自分の前にスペースができていた。ニックなら投げてくれるだろうと思ったら、そうしてくれた」
後半9分にも、フィップスは得点に関わる。
敵陣ゴール前中央やや右寄りで、寝転んだ相手に足を引っかける。それでもすぐに体勢を作り直し、金井へバトンを渡す。
金井はせり上がってくる相手の裏側へ、ロングパスを繰り出す。WTBの尾又寛汰が勝ち越した。
試合は一進一退の攻防となった。後半25分には21-26と、今季昇格のダイナボアーズがリードした。
グリーンロケッツは、動じない。
好突破連発のNO8、アセリ・マシヴォウは証言する。
フィップスの声かけに助けられたと。
「まだ終わってないぞ! 俺たちは勝てるぞ! って」
果たしてチームは34、40分と得点機をものにする。33-26。フィップスはフル出場だった。
「タフなゲームでした。ただし最後には、これぞグリーンロケッツというものを見せられた」
スタンド下の取材エリアで、安定感抜群のSHが報道陣に囲まれる。
いったいなぜ、きれいなパスが放れるのか。
そう聞かれれば、「他選手のプレーの質が生んでいる。ボールキャリー(突進役)がよかったり、ブレイクダウン(接点)がよかったりするおかげで、私が放りやすい環境ができている」。まず、同僚を立てる。
真髄に触れるのは、投げ方、球の握り方について問われてからだ。
「完璧な状況で放りたいSHもいれば、私のように動きのなかで調整して自分なりに放る人もいます。経験でそのスキルを得た」
試合中、全く同じ接点はほぼない。地面に置かれる球の角度、両軍選手の殺到する度合いはその時により異なる。フィップスは続ける。
「ブレイクダウンがぐちゃぐちゃな状態でもしっかりパスをするのは私の強みで、それは若い選手にも伝えてはいます。練習、あるのみです」
母国とイングランドの2か国のクラブでキャリアを積んできた。アジア圏で過ごすのは今回が初めてだ。地に足をつけながら、高い目標を掲げる。
「選手としてよくなりたい。日本に来たなかでもベストなプレーヤーとして、自分の存在を築く。そしてチームがよくなる手助けをする」
スタッフの談話によれば、長く在籍する用意があるようだ。本人はうなずく。
「ディレクション(チーム作り)に対しても、熱意を持って関わっています」
問答を終え、記者の謝辞を聞く。
関東圏のイントネーションで「ありがとうございます、助かりました」と返した。