ラグビーリパブリック

『#ラグビーを止めるな』から辿り着いた。蜂谷元紹[三菱重工相模原ダイナボアーズ]、憧れの舞台に一歩目刻む

2023.02.03

180センチ、115キロの24歳。スクラムを武器にしたい。(撮影/松本かおり)



 思いが届いた。
 人生で初めて秩父宮ラグビー場でプレーをした。
 蜂谷元紹(はちや・もとつぐ)が三菱重工相模原ダイナボアーズの3番のジャージーを着て、東京サントリーサンゴリアス戦に出場した(1月29日)。

 1月14日の東芝ブレイブルーパス東京戦でも、18番のジャージーを着て秩父宮ラグビー場のベンチに座った。
 いつでもピッチに飛び出せる準備はできていた。

 しかし、23-19と歴史的勝利を挙げる緊迫の試合内容に出番は巡ってこなかった。
 そんな悔しい思いを経て、2週間後にデビューを飾った。

 13-51。強力メンバーを相手に戦った試合には完敗した。
 蜂谷は後半11分に入替でピッチを出るまでベストを尽くした。
「自分のヒットがうまくいかず、のっかられてしまった」と反省する点はあったものの、安定したスクラムも組めた。

「強い相手と戦えました。秩父宮でプレーするのも夢でした。でも、まだまだこれから。スタートできただけ」と、笑顔の奥に覚悟を感じさせた。

 愛知県出身。春日井ラグビースクールがキャリアの始まりだ(小6時)。
 北陵中、強豪・中部大春日丘高でプレーを続けた。花園でトライを決めたこともある。

 父も学んだ中京大に進学してからも活躍は続いた。
 ただ、注目されることの少ない東海学生リーグのチームに所属したこともあり、陽の当たる場所から一時は遠ざかった。
 それでも諦めなかったから道は拓いた。

 きっかけとなったのがコロナ禍の中でのアクション、Twitterを利用した『#ラグビーを止めるな2020』への投稿だった。
 ウイルスの感染拡大により試合、大会の中止が相次いだ。高校生や大学生のアピール機会が減った。その状況を打破するための活動が広がる中で、自身もプレー映像を編集した。

 青いヘッドキャップを被ったフロントローがダイナミックに突進し、スクラムでプッシュ、タックルで倒すシーンが詰まった投稿は、多くの人の目に触れた。
 大学の試合での活躍や、ニュージーランド(以下、NZ)でのプレー満載のプレー集はインパクト大。そのお陰で、実際に興味を示してくれたチームがいくつかあった。

 しかし、大学3年時に経験したNZ留学中に痛めた膝の影響で、各チームのトライアウトを受けることができなかった。
 大学卒業後の進路は定まらなかった。

 外部指導員として、高杉中ラグビー部(名古屋市)の活動に関わった。知人が所属する愛知教員クラブにも加わり、練習試合に出場したこともある。
 そんな時に声を掛けてくれたのがダイナボアーズのスタッフだった。
 練習に参加して力を示し、2022年6月にチームの一員となった。

「あまり目立つことのない東海地区のラグビー、自分のことを知ってもらいたいと思って」起こしたアクションが、3年越しで実った。
 これからは、自分がプレーするたびに中京大や愛知教員クラブのプロフィールが人目に触れる。
 それが嬉しい。

 高校、大学と1番で、いま3番。「スクラムを自分の強みにしたい」と話す。
 父の弟、叔父さんにあたる晶(あきら)さんは、明大、伊勢丹で活躍したLO。雪の早明戦(1987年)にも出場していた。

 デビュー戦ではプレッシャーを受けるシーンもあった。しかし、トップチームとの試合にわくわくしている自分がいた。
 NZ留学時、ワイタケレクラブでプレーした。その当時、強豪クラブと戦う際にいつも闘志が燃え上がった。リーグワンでは、そんな気持ちにいつもなれる。
 しあわせだ。

 中学時代は、現在リコーブラックラムズ東京に所属するSH南昂伸(御所実→大東大)と同期。南がSOで蜂谷がWTBだった。
 得意のボールキャリーの土台には、持って生まれた下半身の強さがある。
 思っていた通りのエキサイティングなステージに立ち、思う存分暴れる。


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