攻めどころを見つけた。
1月21日、東京・駒沢オリンピック公園総合運動場。ラグビーのリーグワン第5節に出ていた埼玉パナソニックワイルドナイツのディラン・ライリーが、前方へ指をさす。前半37分頃で、立ち位置は自陣中盤の左端だった。
ライリーのサインに反応した同僚がいる。山沢拓也だ。
本来は司令塔のSOが主戦場も、この日は最後尾のFBへ入っていた。
ライリーがスペースを見つけた瞬間、山沢はちょうど、自陣のやや深い位置の中央あたりにいた。キックを捕った先発SOの松田力也から、パスをもらったところだった。
対するブラックラムズの防御に迫られるなか、斜め左先方へキックを放つ。ライリーにつなげる。
「コミュニケーションをしているなかで、チャンスがあった。(ライリーの)コールがあり、(キックが)狙っているところにいったのはよかったかなと」
蹴った本人が飄々と振り返るこのシーンは、チームのトライとコンバージョンを生んだ。
激走するライリーをFLのラクラン・ボーシェー、SHの内田啓介が順にサポートし、追いすがるブラックラムズの防御をなんとか振り切っていた。16-3とリードを広げた。
一瞬の隙を突いての総攻撃は、国内タイトル2連覇中のワイルドナイツのお家芸だった。その凄みはハーフタイム直前にも見られた。
ここでもきっかけは、山沢だった。
自陣中盤で球を持って仕掛け、横一列に並んだ防御ラインの頭上へふわりと蹴り上げる。
本来なら自ら再獲得したかったそのボールはカバー役の相手に渡りかけてしまうが、その選手が飛んできたキックをファンブルする。
こぼれ球をワイルドナイツが拾い、ちょうど左端に立っていたライリーへつなぐ。ライリーは強烈なハンドオフを繰り出し、前進する。
首尾よくボールを継続したワイルドナイツは、敵陣22メートル線付近左中間でラックを作る。その左に数的優位を作り、大外にいたWTBのマリカ・コロインベテをフリーで走らせる。
フィニッシャーは山沢だった。
コロインベテに球が渡る直前、もともと立っていた接点の右側から左へ移動していた。
展開する直前の横への移動で、攻め手の人数を増やすのが狙いだった。その結果、抜け出したコロインベテからラストパスをもらった。
「個々の選手の判断に対応した、ということです。(攻めの)オプションになろうと思って走った結果、サポートができてよかったです」
ここで23-3とリードを広げたワイルドナイツは、後半に向こうの反撃を食らいながらも38-17で開幕5連勝を達成。殊勲の山沢は、与えられた役目についてこうも語った。
「アタックで、自分が10番(SO)の時にして欲しいことをできればいいな、と思って試合に臨んでいました」
身長176センチ、体重84キロの28歳。中学時代は地元のクマガヤSC屈指のサッカー少年で、深谷高で本格的にラグビーを始めるや大ブレイクした。
2年目で高校日本代表へ入り、筑波大4年時に当時のトップリーグでデビューを果たした。当時からワイルドナイツに在籍した。いまは弟の京平をこのチームの同僚とする。
昨年は日本代表で、激しい定位置争いを強いられた。現地時間11月12日のイングランド代表戦では、前半で交代して13-52と敗れている。
今年のワールドカップ・フランス大会への意気込みを聞かれても、決して景気のよい言い回しでは応じない。
そもそも選手選考の権限は、ジェイミー・ジョセフ ヘッドコーチにある。
ナショナルチームについて、自身がコントロールできる領域は少ないことを山沢は知っている。
「ずっとそこを目指してきたわけでもないですし、そこだけが全てでもないと思っています」
いまのモチベーションは何か。
「何をモチベーションにするかというところは、正直、自分のなかで定まり切っていないところではあります。ただ目の前のひとつ、ひとつの積み重ねが大切になってくると思います」
振り返れば「次世代の星」と謳われた10代の頃から、「ひとつひとつ、目の前の目標」と向き合うのを是としてきた。28日にローカルの熊谷ラグビー場で、横浜キヤノンイーグルスとの第6節に挑む。「目の前」の「大切」な「ひとつ」。