ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】つなげる。兵庫県立伊丹高校

2023.01.24

全国大会出場が2回ある兵庫県立伊丹高校ラグビー部の現部員たち。後列右端は對馬祥人監督。同右から3人目は山本武志主将。中央にあるOB奥克彦さんの記念碑を囲んで



 兵庫県立の伊丹高校は音の中にある。

 ラグビー部にとってゴォーやパッパラーはBGM。ジェット機が舞い上がり、時を告げるラッパが鳴る。東に「いたみ」の大阪国際空港、西には自衛隊の駐屯地がある。

 郊外だった名残は校内にもある。陸上トラックは大きな400メートル。土のグラウンドは野球とサッカーと3つで分ける。正門を入れば築山と池がある。鴨が泳いでいる。

 学校の住所は「緑ヶ丘」。濃緑のジャージーの左胸には赤字でGGGとプリントされている。Great Green Gentleman。偉大な緑の紳士たれ、である。

 ラグビー部監督の對馬祥人(つしま・あきひと)は32歳。3Gの解説を加える。
「奥さんの代か、それよりもっと前のOBの人たちが考えたと思います」
 奥克彦。外交官として20年前、イラクで凶弾に倒れた。戦争復興に携わっていた。

 奥が3年を過ごした部は今年、創部75周年を迎える。活動を始めたのは1949年(昭和24)。ラグビー関係者からは「けんいた」と呼ばれる。伊丹市立の同名校と区別するためだ。こちらにラグビー部はない。

 今、選手は15人カツカツ。2年=6、1年=9。女子マネは1人。この新人戦(近畿大会予選)は13人で不戦勝になり、12人で不戦敗になった。ローカルルールでは13人で公式戦は成立する。初戦の相手は合同チーム、2回戦は神戸村野工だった。

 對馬は説明する。
「元々のケガが1人。2人が脳震とうになりました。他部の子をたのんだのですが…」
 助っ人、来たらず。初心者からすれば、全力でぶち当たってこられる競技は怖い。

 主将の山本武志は意気軒高である。
「村野工とは練習試合になりましたが、前半は勝っていました。雰囲気もよかったです」
 先方から3人借り、ゲームができた。

 山本は入学後、蹴球から楕円球に移った。
「コンタクトがある分、仲間との結びつきは強いです。そこがいいと思います」
 176センチ、95キロのロック。当たればコンタクトバッグを持った人間を吹っ飛ばす。あだ名は「ジャイアン」。体格や同じタケシの名からついた。ただ、ガキ大将ではない。細い目はハの字。ニコちゃんマークだ。

 山本へのラグビーの勧誘は激しかった。
「靴を入れるロッカーの前まできました」
 この4月はそれを新入生に返す。
「熱い勧誘で入ってもらいます」
 次の県総体(春季大会)は新入生も出られる。経験者2人の受験は決まっている。周囲には伊丹、川西、尼崎などのラグビースクールがある。しかし、スポーツ推薦はない。

 県立伊丹は昨春、関西の名門4私大、関関同立にのべ300人以上を合格させた。進学校のため7時間授業が週2回ある。その日の冬場の練習は1時間ほどしかできない。完全下校は5時45分。そのため、選手たちは朝、30分のウエイトトレに取り組む。

 学校創立は1902年(明治35)。旧制中学として始まった。乃木希典が授業参観をした逸話が残る。明治天皇を慕い殉死した乃木は学習院長や陸軍大将を歴任した。現在は男女共学の全日制普通科校。40人学級で1学年は7〜8クラス。對馬は1年の担任でもある。

 学校のある伊丹の街からは縄文や弥生土器が出土し、古代から人煙があったことを示す。戦国時代には領主の荒木村重が全国統一に着手した織田信長に反旗を翻す。江戸時代には隣の西宮と並び、酒造業が栄えた。今は大阪や神戸のベッドタウンとなっている。

 かつて、このラグビー部も全国に名をはせた。奥の2年時を含め、全国大会に2回出場している。ともに初戦敗退。奥がセンターだった54回大会(1975年)は美幌(びほろ)に6−13。初出場の41回大会は盛岡工に0−19だった。出場回数2は兵庫の公立では3位。兵庫の13、神戸の9に次ぐ。

「OB会はすごく協力的。助かっています」
 對馬は感謝を込める。15人カツカツながら、タックルダミーは長短多数あり、コンタクトバッグ、スクラムマシンも完備。秋にはOB会主催の小中学生対象のカーニバルも2回ある。チームの認知も深めてくれる。

 對馬は保健・体育の教員でもある。小6から宝塚ラグビースクールに入った。
「それまでやった野球は下手でした」
 高大は関西学院。大学2年から希望して高等部の学生コーチになった。父・路人(みちひと)は社会学部の教授だった。教える血筋。教員免許は在学中に取得した。

 高校の監督だった安藤昌宏には計6年、そのそば近くにいた。
「常に本気で生徒にぶつかります」
 その姿を自分の中に置いている。

 卒業後は住友林業で働く。3年を山口県で過ごした。営業職として社会経験を積む。
「新卒教員で何ができる、と思いました」
 この間、高校のおしかけコーチになる。全国大会出場6回の山口。自らメールを送った。

 職は3年で辞する。退路を断ち、地元に戻る。教員採用試験の合格を目指した。2018年、初任校としてこの県立伊丹に赴任する。

 對馬はこの春で異動になる可能性がある。
「新任はその対象になります」
 3月末で5年目を終える。異動にかかれば、新入生を集め、雪辱を誓う山本らの県総体を指揮することもないかもしれない。

「異動の内示が出ても、次の方に少しでもいい状況で引き継げるようにやっていきます」
 チームをつなげることに腐心する。自身の思いは内に秘める。

 その生きざまは30代ながら、教育者然としている。県立伊丹の幸運である。


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