ニュージーランド代表のワールドクラスのロック、ブロディ・レタリックはフランスのワールドカップを最後に代表戦を退く。でもラグビーはやめない。ニュージーランドのメディアは「コベルコ神戸スティーズと再契約」(stuff.co.nz)と今週火曜に報じている。ちなみに先に解任されたワラビーズのヘッドコーチ、デイブ・レニーが「神戸と交渉」(同)との報道もしきりだ。
すでにオールブラックスのスタンドオフ、リッチー・モウンガの東芝ブレイブルーパス東京への入団も発表されている。2023年ー04年からの3年契約である。
コラムの敵は「はやり言葉」。潮流にほどよくたてつくのも仕事なのだ。だから、このところビジネス発でよく耳に届く「ファンベース」にも抵抗はある。誰かが何かにほれこむ純粋な心は「ベース」の形成と本当は関係ない。ただ事実としてリーグワンのクラブが強豪国の大物を獲得するのは「中核的ファンの獲得と定着」のためでもある。いわゆるファンベースの構築だ。
コロナ禍もあり、リーグワンは総じてトップリーグからの漸進的変革の道を選んだ。いっぺんにではなく徐々に変化する。そこで観客動員やグッズ販売などで差をつけるのは、ひとまず、ひとりの際立つ実力者かもしれない。
実際、世界の顔がやってくれば、観客や視聴者のみならず、記者席や実況ブースもときめく。また「世界最高の10番」であったダン・カーター級なら現実にチームに多くの白星をもたらす。神戸加入の2018年度、5季ぶりのリーグ制覇へと導いた。みずからが出場したら無敗だった。超一流とともに戦えば学びは深い。結果、ジャパンの強化にも結ばれる。傑物の来日。ファンの接近。成績の浮上。愛着の増したファンは去らない。この流れをつかむ。
先日、そのことを前提に思った。ラグビー愛好者にとって圧倒的に見て楽しいスタイルを創造、迷わず実践する。それこそが「ファンよ集まれ」の最短距離ではあるまいか。
思考のきっかけは1月14日の神戸と東京サントリーサンゴリアスの対戦だった。真紅のジャージィのキャッチやパスにエラーが頻出、せっかく地元のスタジアムに足を運び、盛り上がる準備を整えている観客の興奮を呼べない。火花の散る展開にいたるより先に途切れてしまうのだ。
12ー39の終了直前、Pからラインアウトを選び、モールで唯一のトライを挙げた。心優しいお客さんは拍手を送った。でも、あそこはタップで速攻、あるいは準備したトリックプレーを仕掛けて、15人総員で攻めてほしかった。そのことがチケット販売の地道な営業、大スターの加入と同じように「次もまたこよう」につながるのではないか。
モール否定論ではまったくない。ただ、あの日は、あまりにもミスが続いたのでオープン攻撃はほぼ不発、であるなら、ここはモールでなくボールが走るほうのラグビーを実行してはと考えたのである。
勝利追求こそはスポーツの最大の魅力である。負けても構わないので見て楽しくは間違いだ。「見て楽しい」を厳しい反復練習で「見て楽しくて勝つ」へと昇華させる。奇策を奇策とせず。大胆で柔軟な戦法も努力によって最新のオーソドックスとなるはずだ。
もうひとつ。勝負の趨勢が決したら、ここは少しでもファンの喜びをもたらすための「見て楽しく」へ。そうしたくなるのがラグビー選手の本来ではあるるまいか。手にボールを持って、抜いて、つなぐ。自分が少しでもエンジョイすれば敗北を悟った観衆も少しは喜ぶ。これは投げやりではない。スポーツの普通のあり方だ。
1月15日。ディビジョン2の三重ホンダヒートー日野レッドドルフィンズ。雰囲気のよい会場に心ある人々が集まった。20ー19。ホストのヒートの劇的勝利。と書きたいところだが感動には届かない。反則があまりにも多いからだ。
レッドドルフィンズのPは「21」(ヒートが8)。笛と笛のあいだに少しだけラグビーがある。そんな感じだ。スクラムの細かな反則(ときにどちらのチームも気にしていないように映る)の解釈や適用など言い分はあるだろう。しかし危険なタックルの繰り返しは弁解できない。
ファンを呼ぶ、離れないようにとどめる、そのことの大きな妨げは「反則」である。笛をしじゅう唇に当てるレフェリーと首をかしげるフロントローをなんべんも見つめたくはないだろう。
実況解説席にいて断言できる。こんな大接戦なのに両チームのWTBやFBはあまり疲れていない。そこに攻守の機会が訪れる前にブレイクダウンで、スクラムで、あるいはコンタクトで、プレーは断ち切られるからだ。倫理や規律についての批判とは違う。これは「ファンベース」にまつわる話である。